BOOK(進撃)
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少し戸惑いながらも、そいつの手をとった。
男は、がっしりと私の手を握り返し支えながら立たせてくれた。
…本当に…、立たせて…くれた…。
胸の中でくすぐったく揺れる何かに戸惑う。
(…悪く、…ない…)
…だけど確かに、私は少し、仲間も悪くはない、と思ってしまった。
あんなに調査兵団を憎んでいても、男を憎んでいたとしてもだ。
…やっぱり…、嫌な奴ばかりじゃないのかもしれない。
…この男のおかげで、自分の中の偏見と思っていたものを考え直そうか、と思ったその時だった。
その男の手が、腕が、私の肩と腕を掴んだ。
「?…な――」
そうして気付いた時には、また地面へ逆戻りしていたのと、腹部の激痛、それに激しい嘔吐感が増していただけだった。
「ご、ほッ…!!げほッ…!!く…、っは…!!」
意味が分からなかった。
何が起こったのか理解できないでいると、鳩尾に打撃が入る。
再び咳き込み、息が出来ない苦しみが思考を奪う。
考えろ。
こうなった時の為にも、訓練はしてきた。
何が起こった。現状を把握しろ。
目の前の男。
この嘔吐感。
激しい痛み。
苦しさ。
いやらしそうに笑っているのは――
私が…、この男に騙された…。
「はっはっは!惨めだなぁオイ!訓練中はあんなにえばってるくせしてよぉ」
口調が急に変わる。
…あぁ、そうだ。
どうして…こいつの性格を分かっていなかったんだ。
初めて見た時から感じていたはず。
この男…、レニー・ルウのいやらしさを。
「…クソ、野郎ッ…!」
レニーは舌打ちして私の頭を踏んできた。
後ろの男たちが口笛を吹いて煽っているのが分かる。
…、なんて、…なんて奴ら。
…だから嫌いなんだ…。
…だから嫌気がさすんだ…!
…人を信じるってことの…意義が分からなくて…!!
……でも、これは私の所為。
こいつらを恨むのは腹ちがいと言えるだろう。
何故ならこれは、私のバカな思い違いが産んだ結果であり一瞬でも情や仲間欲しさに目が眩んでいた馬鹿な脳みそにあるのだから。
今まで持っていた偏見が、私の中で正論に変わった。
男たちは甚振るだけ私を甚振って、後はスッキリしたかのように寮に戻っていった。
「…はぁー…ッ…、はぁ…ッ」
精神と体。
両方ともボロボロの私は、蛇口まで体を引きずった。
最早ないとも言える握力で、なんとか水を出す。
「……んっ…、はぁ…」
冷たくて少し傷に染みる水を浴びながら、私は再び心に誓った。
もう、誰も、誰ひとりも信じないということ。
それと同時に、仲間というものを深く深く嫌った。
最後にあのいやらしい笑みの男の顔を頭で浮かべ、意識を失った――。
―――。
「――ッは…!?」
目を覚ますとそこは私のベッドだった。
…。
…なん、で。
…訳が分からなくて、自分の手と顔を確認する。
全身が痛い。
…まだ昨日の男達にやられた傷が残ってる。
…でも、包帯や応急処置が施してあるのは…。
一体、何処の馬鹿がしたのだろう。
恩なんてものは感じない。
寧ろ迷惑だ。
誰かにあんな醜態を見られたという事実が頭の中で苛立ちを生む。
とりあえず今日の訓練をサボる訳にはいかないので、何時も通り着替えて朝の収集へ出た。
やっと訓練も半ばまでさしかかり馬術、立体機動、それが終われば格闘術だ。
…何時も通り訓練をやっている私に舌打ちを仕掛けてくる男が3人。
昨日の奴らか。私が休むとでも思ってんの?馬鹿じゃねーの?
ああ、うざい。
人間がうざい。
なんでそこまでして群がる。何が楽しい?
そこから何か見えるものがあるのか。
新しい何かが展開するのか?
……どっちにしろ、私にはどうでもいい。
永遠に分からないものだとしても、興味さえわかない。
「おーい春菜ー、昨日はなんとか寝床まで帰れてよかったなー?」
「くくッ…」
無表情で思いっきり、睨む。
…へらへら笑いやがって。
ムカつく。
昨日は調子に乗りすぎなんだよテメーら。
丁度いい。
お前らが実戦でカスほどもつかえない脳なしって事を、体に刻みこんでやろう。
「…何の事?つーかお前らひ弱そうな体してっけど、巨人目の前にしたらしょんべんチビって逃げだしそうだよね」
その罵りに、あいつらは乗ってきた。
「細チビクソ女が…!!寮に戻って寝てろよ…!!」
荒い呼吸と、見て分かる様な怒りよう。
馬鹿だな。
挑発とも気付かないなんて。
鼻で笑って、私はレニーのパンチを避けた。
驚くレニーの首に腕を回し、地面へと叩きつける。
(…おっそ)
臨機応変に動けなければ格闘術なんてものは実戦で使えない。
…というより、巨人と戦うのに格闘術なんて役に立つ訳がないが。
苦しそうにうめき声をあげるのも待たないまま、靴で胸の一番苦しい所を踏みつけ、片腕も踏みつけた。
「うぁッ…ぐぐ…、いて、ぇ…!!はな、せよッ…!!」
「よっわ。…調子のんじゃねーよ、クソガキ」
「ひッ……ブぇッ!!」
そいつの顔面を最後に蹴ってお終いにしてやった。
昨日受けた私の傷よりも、遥かに軽傷だ。
だがレニーは気を失っており、前歯が2本欠けている。
それを見た二人の男は、顔を青ざめこそこそ逃げていった。
…あーあ。見つかったら面倒だから私も早くずらかろう。
そんな私の魂胆とは裏腹に、それを見ていた一人の女が私を引きとめた。
その女は、私に脅えている様にも見える。
「ね…ねぇ…!いくらなんでもやりすぎじゃない…?…仲間に…!」
仲間?
…あはは。
こいつが、私の仲間?
女がくすくすと笑いだした私に、肩を震わせる。
その場で爆笑したい気分になったが、なんとか抑えて女を睨んだ。
「気持ち悪ぃ事言ってんじゃねーよ。お前は私に”クズと仲間になれ”って言ってんのか」
女の胸元を掴むと、そいつはふるふると首を横に振った。
顔は今にも泣きだしそうだ。
…殴るつもりなんてない。
こいつが兵士に向いてない事が分かった。
私が一切殺気を出していないのに、それが分からないから脅えているんだ。
第102期訓練兵団の中で私がトップに上り詰めたのは、そのすぐ後の事だった。