PEACE MAKER短編

□始まりの零
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山南敬助の死から、もうどのくらい経ったのだろうか。
心の傷は、まだ消える様子を見せない。否、きっと生涯消えることの無い傷として残ってしまうのだろう。そんなことを考えながら、藤堂平助は屯所の縁を歩いていた。
空は青く澄んでいて、暖かな陽気が縁の床を暖めていた。曲がり角を曲がろうとした時、自分が今向かおうとしている場所から空咳が聞こえてきた。
ああ、きっとこの先に誰かが居る。それは誰にでも分かることだ。


『新八っつぁんや左之だったらどうしよう……』


いつの間にやら、前のように上手く笑えなくなって、自分のせいで新八や左之助に、いらぬ心配を掛けてしまっているのではないかと思うと、途端に足取りが重くなった。しかし、引き返そうにもここを通らなければいけないのは分かりきっている。意を決して平助は歩を進めた。するとそこには。暢気な調子で縁に座り、日向ぼっこをしている沖田総司の姿があった。
沖田の膝の上には、気持ち良さそうにサイゾーが眠っている。新八や左之助ではなくて良かったと内心ホッとした。一旦立ち止まった平助は、また歩を再開しようとした。


「あ、藤堂さん!」


平助に気付いた沖田がにこりと笑って平助の名を呼んだ。嗚呼、今は誰とも関わりたくはないのに、呼び止められてしまったのだから答えない訳にもいかない。平助は仕方なしに沖田の傍へ移動した。そして、彼の隣に腰を下ろす。


「藤堂さん、何かご用でもあったんですか?」

「んー……、ちょっと副長のところに行ってた。総司は、ここで何してんの?」
「今日は暖かいから日向ぼっこです。サイゾーも気持ちいいみたいで今寝ちゃったんですよー」


そっか、と平助は頷いてから俯いた。視線に入るのは、投げ出された自分の脚。やはり、笑顔で話すことなんて出来ない。笑おうとしても、何処か不恰好になってしまう。口の端が引き攣ると言うか、目が細められないと言うか、いつでも何処と無く影が差してしまう。


「藤堂さん!」


明るい声音に、顔を上げれば、右手の人差し指と親指をくっつけて、右目の前まで近づけている沖田の姿があった。それは、まるで平助を覗き込んでいるかのようだ。


「何、やってんだ?」

「これ、何しているか分かります?」

「……覗いてるとか?」


そう答えれば、沖田はいいえと首を横に振った。じゃあ、何なんだよと平助はムッとした表情で尋ねる。その表情はまるで幼子のようにも見える。沖田はにっこりと笑って左目だけを瞑ってみせる。


「零(ぜろ)ですよ」

「零ぉ?」


沖田の言っていることが分からなくて、平助は思わず素っ頓狂な声を上げた。そして。


「意味、分かんねぇっての!」


そう言って笑った。久々にちゃんと笑った気がすると思った。口角が緩んで、自然と目が細まる。それも沖田が訳の分からないことをやっているからだろうと思うが。


「やっと笑ってくれましたね」


そう言う沖田の声音は、とても静かで、とても穏やかなものだった。


「は……?ああ……」


訳が分からないと思っていた平助は、自分がしっかりと笑っているのだと改めて実感した。その表情を見て沖田ものほほんとした笑みを浮かべている。


「藤堂さん、零の意味って分かりますよね?」

「えっ……と。無だとか、何とか……」


顎に手を添えて考える平助の目の前に、沖田は人差し指を持って来た。きょとんとする平助に、沖田は笑い掛ける。


「零は、始まりですよ」


始まり、と平助は沖田の言葉を繰り返し呟いた。零すなわち数字の1番始めの数。だから、始まりかと頭の中で咄嗟に理解して平助は首を傾げて見せた。


「で、その零が何なんだよ。俺と関係あることか、それ?」

「大いに関係ありますとも」

と、沖田は大きく頷いた。そして更に言葉を続ける。

「藤堂さんは、山南さんが死んだことで深く悲しんでいますよね。それは私だって土方さんだって、永倉さんや原田さんだって同じです。無理にとは言いません。でも、零からでいいので、少しずつ前のように笑いましょう。ね……?」

「俺だってそんなこと分かってるけどさ、どうしようもねぇんだ」

「でも今さっき貴方はちゃんと笑いましたよ。どうしようもないことはない。無理ではないんですよ。だから、今日から少しずつ元通りに」


沖田の言葉は、正直堪えるものだった。自分でもちゃんと分かってはいるのに、それが上手く実行できないでいる自分が腹立たしい。自分以外の人間も悲しんでいるのは紛れも無い事実。自分は山南敬助の最期の姿は見ていない。しかし、副長である土方や、介錯を担当した沖田は、きっともっと深い傷を心に負ってしまっただろう。自分だけが深く深く悲しんで、自分と同じ悲しんでいる人間に余計な気を使わせている。そんなこと、ずっと前に分かりきっていたはずなのに。改めてそう言われると、心臓がドクリと跳ね上がった。確かに先程笑うことはできた。しかし、これはきっとまぐれだと思う。でも、ずっとこのままではいられないことも知っている。平助はのろのろと立ち上がると、沖田を見た。


「総司、助言ありがとよ。まあ、やれるだけやってみるわ」


歩き出そうとしていた平助であったが、それとと言葉を付け加えた。


「お前、風邪でも引いてるのか?さっき咳してたみたいだけど……。あんまり無理すんなよ?」


そして、子供のようににっと笑うと、そのまま去って行った。縁側は元通りに穏やかな静けさを取り戻した。膝の上ですやすやと眠っているサイゾーの頭を撫でていた沖田は数回咳込んだ。その表情には薄っすらと苦笑いが浮かんでいる。


「風邪だったら、どんなに良かっただろう……」


その声は、風に流されて消えていった。


沖田と別れた平助は、1度自室に戻った後、その足で道場の近くへと足を運んだ。ここは、新撰組の隊士たちが稽古に励む場だ。道場の外に見覚えのある人物を捉えた。大柄と小柄がよく目立つ友人たち。彼らに近付こうとした瞬間、平助の足が不意に止まる。心を落ち着かせるために大きく息を吸い込んだ。


『零から、始める……』


心の中でそっと呟いて、平助は再び歩みを進めた。


「よぉ、新八っつぁん、左之」


なるべく暗くならないように、明るい調子で声を掛けた。その声に、新八と左之助はいつもの調子で答えてくれた。


「漸く漫才師の後1人のお出ましかい」

「平助、どうしたんだよ」

「どうしたって、たまたまここを通り掛ったからさ……。それより2人はこんなところで何してんだ?」


平助がそう尋ねると、新八の表情がグニャリと歪んだ。それは、完全に面白いことがあったときの表情だ。

「実はさー、さっき鉄之助が副長のところに茶を運んだ訳よぉ」


そう話すのは左之助だ。それを引き継ぐように新八が笑うことを我慢しながら話し始めた。


「そしたらさー、鉄の奴畳の縁(へり)につまずいて、お盆ごと茶を零しちゃってさあ……。運悪く副長に茶をぶっかけちゃったんだよぉ!しかも頭から!」


一頻り話すと、それから新八と左之助は2人で大笑いを始めた。それにつられるように、平助も腹を抱えて笑い始める。嗚呼、笑うってこんなものだったけと思った。


「俺もそれ見たかったなー。その光景2人しか見てないのか?」

「ああ……。あ、でもこれ俺ら3人の秘密な。副長には絶対に言うんじゃねぇぞ?」


笑って疲れていたのか、言葉が絶え絶えとなりながらも新八は話した。左之助なんか、腹の傷が開くと言いつつ馬鹿笑いしている。面白い光景が目に浮かんで平助も自然と笑い始めた。


嗚呼、きっとこれが零の始まりなのかもしれない。以前に戻ることができるまで、きっとあと少し。そうしたら、今度は自分から、一体どんな馬鹿な話を話そうか。


END

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