長編

□第捌話
1ページ/11ページ


とうとうこの日がやって来た。都内で行われる試合が。今日この日、私達剣道部が全国大会に行けるかどうかが決まるのだ。私は、卓上型のカレンダーを見つめてそう思った。
最近はと言えば、8月中旬辺りから前期試験が開始される為、地道に勉強をしたり、レポートを書いたり。そして、部活に参加したりと何かと忙しかった気がする。私は、他の皆と比べればそこまで動いていない。だがら、その疲れのせいで今日寝坊したらどうしようとか考えていたが、案外すっきりと目が覚めた。
取り敢えず手早く支度を済ませつつ、昨日買って来た菓子パンを食べる。そして、時計で時間を確認。いつもより少し早い朝ご飯を済ませると、ぐっと背伸びをした。その後、少しぼーっとして、まだ集合時間には少し早いが、私は荷物を通学用のバッグと、それから玄関のところに置いていたケージを持った。このケージは一体何かと言うと、問題の子ブタ――サイゾーを入れる為のものだ。
今回は私と鉄君が主に世話をすることになるのだが、試合に出ない左之さんも手伝ってくれるとのことだったので、一安心だ。そうではあるのだが、サイゾーをケージに入れる役割は私になってしまった。これは、鉄君とじゃんけんをして決めた公平な結果だ。まあ、鉄君にさせるのもあまり良くはないと思っていたから私が負けて良かったんだけれど、やっぱり、少し緊張する。今日いつもより少し早く大学へ向かう理由もサイゾーに手こずるのが分かっているからだ。
よし、と小さく握り拳を固めて気合いを入れると、私は大学へと向かった。



自転車に乗って坂をサーッと下り、大学を目指した。校門が見えてきたところで速度を落として行き、完全に止めたところで下りて、自転車を押して駐輪場へ向かう。
今日は土曜日。土曜日も講義はあるが、いつもと比べて駐輪場はがらんと空いていた。定位置に自転車を止めて、真っ直ぐ道場へ向かう。
相変わらず、剣道場だけ時代が止まっているようだ。大学の建物も、学食も何もかもが近代的なのに、やはりここに来ると、タイムスリップをしたような気分になる。大学と剣道場のこの時代のズレと言うのか、アンバランスさと言うのか……。それが私は好きだった。バッグは肩に掛けて、ケージは左手に持って、小屋に足を運ぼうとした。今日は、流石に私が1番乗りだろう。そう思っていたら、どうやら、場内に先客が居たようだ。
少し開いた入り口の隙間から私は中を覗き見た。今や聞き慣れた竹刀がぶつかる音が聞こえて、この時間から誰かが稽古をしているのはすぐに分かった。
中で稽古に励んでいたのは、沖田さんと鉄君だった。小さな身体で果敢にも沖田さんに立ち向かって行く鉄君。何度撥ね飛ばされようと、何度転ぼうとすぐに立ち上がってはまた向かって行く。思わず、小屋に向かうのも忘れて、頑張れと応援していた。


「くっそおおおお!」

「おっ、鉄君。前よりも上達しましたね。でも……」


そう言って、沖田さんは鉄君の胴に思い切り竹刀を叩き付けた。防具を着けていない腹部に竹刀がバシッと痛々しい音を立てる。その光景に、私は思わず息を呑んだ。鉄君は尻餅をついて、その反動で竹刀を落とした。


「痛って〜……。やっぱ沖田さんは強いですね……」


お腹を押さえながら鉄君は沖田さんを見上げた。沖田さんは、鉄君に手を差し伸べて立たせて上げている。


「鉄君も、前より強くなりましたよ。避けるのも受け止めるのも。……ごめんなさい、鉄君。私、稽古でもやり始めると加減が出来なくなってしまって……。大丈夫でしたか?」

「平気平気!それより、今日の試合前の練習の役に立ちました?俺」

「ええ、それはもう。鉄君が稽古に付き合ってくれたお蔭で自信がつきました」

「なら良かったです。俺も、思い切り打ち合えて楽しかったし!」


ぐっと大きく背伸びをして、鉄君はその場に座ると、ごろんと床に大の字に寝転がった。鉄君は沖田さんの顔を見ると、口を開いた。


「……今日の試合、頑張って下さいね」

「ええ、分かっていますよ。絶対に勝って見せますから」


……何で私はこんなところで覗き見なんてしているのだろう。何となく、入り辛いと言うか、邪魔をしてはいけないと言うか……。よし、小屋に行ってサイゾーをこのケージに入れよう。そう思った時だった。


「ブキッ」

「ブキ……?」


自分の足元を見ると、既に小屋から抜けて来たらしいサイゾーが居た。


「ひゃっ……!」


私は思わず声を上げた。その声がまた女子っぽくないのが複雑だが、きゃあ、とか女の子らしい悲鳴なんて案外出ないと思う。私の声に気付いたらしい沖田さんと鉄君ががらりと入り口を開ける音がした。


「葵さん、もういらっしゃってたんですか?早いですねえ……」

「アオ姉、おはよっ!」

「あ、お、おはようございます……。あの、サイゾーをケージに入れるために小屋に向かおうとしたら、サイゾーから来てくれました。私は、ど、どうすればいいんでしょう?」


流石に稽古を覗き見してたとは言い辛くて、今来た風を装った。そして、何と言うしどろもどろな喋り方。何だか、物凄く情けなくなってきた……。私のしどろもどろな説明で理解をしてくれたらしい沖田さんが、私の足元に居たサイゾーを抱き上げた。


「ケージ、開けて貰えますか?」


沖田さんの言葉に私は頷き、ケージを開けると、沖田さんがその中にサイゾーを優しく、そっと入れた。私がケージを閉めると、ガタガタと中で暴れ出す。その振動が手に伝わって来たが、やがて大人しくなった。


「助かりました……。ありがとうございます」

「どういたしまして。……それより今日はすみませんね。貴女と、鉄君にサイゾーの面倒を見させることになってしまって……」

「いえ、大丈夫……だと思いますから……」


私は、未だに不安を隠せずに苦笑を浮かべるしかなかった。


.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ