長編

□第漆話
1ページ/10ページ


6月も半ばを越えた。梅雨入りしているものの、雨は昨年よりも降っていないような気がする。最近も、雨は降っていなかった。
それが、今日は雨が降っている。だから、恐らく今日の部活のランニングは中止になるだろう。私は、講義で使用される休憩スペースに居た。丸いテーブルに1冊の本を置き、4脚ある椅子の内の1つにバッグを置いて、空いた椅子に座った。
今は空き時間だ。次の時間は講義が無い為、ここに居ることにしたのだ。この棟内は、いつも人通りが多いのだが、今は講義中だからか、人も疎(まば)らだった。だから、静かで丁度良い。私は、ふう、と息を吐きながら伸びをして、テーブルに置いている本に目を向けた。
それはこの間の日曜日に平助君と出掛けた際に、買ったものだ。新選組の本。買ったまでは良かったものの、何故か開くのを躊躇ってずっと放置してしまっていた。だから、思い切って、この空き時間に中身を見てみようと思ったのだ。
パラパラとページを捲ってみる。文章がずらっと並んでいて、ところどころに絵や図、写真等が挿入されている。最後のページには、参考文献等の付録が載っていた。私は、その付録の中のとある表に目がいった。それは、新選組の軌跡と言う見出しのついた年表だった。私は、それに目を通して行く。


1863年2月27日 浪士組、京都へ上洛。1863年、同年 八月十八日の政変の警備が評価され、「新選組」の名が与えられる……。9月18日 新選組局長・芹沢鴨が土方、沖田、山南らにより暗殺される……。


すんなりと入って来る語彙に、私は内心驚いていた。私は、別に新選組に詳しい訳じゃない。中学や高校の日本史の授業でも特に取り上げられることはなかった。池田屋事件で活躍した、ということを先生が言っていたなあ、と言う覚えがあるだけだ。
なのに。何故、こんなにもすんなりと頭の中に年表が流れ込んでくるのだろうか。まるで、以前から知っているかのように。私は、横に延びた年表を黙々と辿り続ける。


1864年7月8日 池田屋事件、1865年2月23日 山南敬助、脱走により切腹、1868年11月18日 伊東甲子太郎、藤堂平助ら、油小路の変にて殺害……。その年号を、事件の名前を見た途端、私は咄嗟にぐっと唇を噛み締めた。胸が苦しくて堪らない。苦しい、辛い。そんな思いがじんわりと心を蝕んでいく。何で、こんなに苦しいのだろう。何で、こんなに辛いのだろう。いや、その前に。私は、ぐっと唇を噛み締めたまま、また年表を追って行く。
1868年1月13日 山崎烝、鳥羽伏見の戦いにて戦死。1868年4月25日 近藤勇、板橋刑場にて斬首。1868年5月30日 沖田総司、結核により死去。1868年5月15日 原田左之助、上野戦争にて負傷、17日戦死。1869年5月11日 土方歳三、一本木付近にて被弾し、戦死。1872年11月16日 市村鉄之助、西南戦争に従軍の後、病死……。


年月が進むにつれ、やたらと死の文字が目に飛び込んでくる。それを見るのすら苦しかった。なのに、私は本を閉じなかった。史実から、目を逸らせなかったのかもしれない。
苦しいのは変わりないのに、何処か違和感がある。それは、一体何なのだろう。少し考えて、何となく分かった気がした。

1868年11月18日、ここまでは、様々な思いが強くて何かをやたらと訴えかけてくるのに、それ以降は苦しくても何処か客観的見えてしまうのだ。
歴史上、大体の人が戦死したことや、病死したことは知っている。沖田総司が結核で死んだと言うことも話で聞いたことはある。ただ、それは客観的に思える。11月18日が1番苦しい気持ちが強くて、それ以前も勿論辛い思いや感情が湧き上がってくるけれど、楽しい思いがあるのも事実で……。

これは、やはり私の前世の記憶……と言うものなのだろうか?”過去の私”の記憶が、今の私になだれ込んで来ているのだろうか。これが過去の記憶なのか、それとも夢や妄想なのか、よく分からなくなってきてしまった。


.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ