その他短編

□怨念渡し
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青々とした草、同色の葉を持つ木々には淡い色をした桃が幾つもなっている。ここは、地獄ではなく、所謂天国。鬼灯は天国のとある場所を目指して歩いていた。
まるで、中国のような建物が見えてきて、鬼灯は眉間に少し皺を寄せた。それでも、能面のような無表情は崩れることはない。


うさぎ漢方「極楽満月」。これが、中国式の建物の名前だ。漢方を扱うこの店は、鬼灯にとっては好きになることはできない者が営んでいる。その名を、白澤。中国の神獣である。

鬼灯は、店の前まで来ると、そっとドアを開けた。彼に真っ先に気が付いたのは、白澤ではなく、この店で働いている桃太郎であった。


「あ、鬼灯様!」


目を丸くした桃太郎は、薬を煎じていたのか、鍋をかき混ぜていた。彼は、一旦作業を中止し、鍋の下で揺らめいている火を止めると、急ぎ足で鬼灯の元へ駆け寄って来た。
店内では、従業員の兎たちがせっせと薬を煎じたり、薬草を挽いたりしている。


「今日は一体どうされたんですか?」


薬を取りに来た訳じゃないんですよね、と桃太郎は首を傾げて鬼灯を見上げた。鬼灯は、ええ、とだけ言って頷く。


「いやあ、薬を取りに来る以外にここに来るなんて、珍しいですね……」


今日か明日ぐらいに何か起こりそうだと笑いながらそう言う桃太郎に、鬼灯は表情1つ変えずに自分よりも背丈の低い桃太郎の顔を眺めていた。


「……確かに、何も用がなければこのようなところには来ませんね、私も」


そう返してきた鬼灯に、桃太郎は苦笑を浮かべ、鬼灯にちょっと待ってて下さいと言うと、店の奥に引っ込んだ。鬼灯は店内に入り、ドアを閉めた。彼は、ずっと後ろに回していた左手に持っている風呂敷を弄びながら桃太郎が戻って来るのを待った。少しして、聞き覚えのあるいけ好かない声が店の奥から聞こえてきた。


「桃(タオ)タロー君、お客さんって一体誰?僕、昨日遅くまで起きてたから眠いんだけど……」


些か不機嫌な色を含ませた声音が、鬼灯の耳に入ってきた。三角巾を巻いた、鬼灯の雰囲気に何処となく似た青年――白澤が店の奥から姿を現した。白澤は、寝起きと言わんばかりの腫れぼったい目を細めて、無造作に頭を掻きながら出て来た。しかし、そんな彼が鬼灯の姿を認めた瞬間、一気に目を剥いたのである。


「ゲェッ!?」


白澤は、完全に目が覚めたのか、可笑しな奇声を発すると、一気に後ろへ退いた。鬼灯は、眉根を寄せて思い切り不機嫌そうな表情を作った。


「何ですか、人を化け物のように扱うとは失礼ですね」

「いや、お前鬼だろ!?」

「そう言う貴方も神獣でしょう?」


全く神獣には見えませんけど、と付け加えて鬼灯はあからさまな溜め息を吐いた。白澤は、一気に退いた身体を、ゆっくりと前に移動させた。そのゆっくりとした動きが、鬼灯に対する嫌悪感を表しているかのようだ。
白澤は、頭をぼりぼりと掻きながら、半眼で鬼灯の顔を睨み付けた。


「神獣に見えなくて悪かったな……。……それで、今日はここに何しに来た訳?薬なんて頼んでないだろ」
「ええ、今日は薬のことではなく、貴方にお渡ししたいものがありましてね……」

「気持ち悪っ!何、お前から贈り物って何なの!?絶対裏があるだろ、何か企んでるだろ!?」


マシンガンの如く早口でそう言った白澤に、鬼灯は内心で舌打ちをした。否、実際は盛大に舌打ちをしているのであるが。内心でも、音でも舌打ちをした鬼灯は小さく息を吐くと、左手にずっと持っていた物を白澤に見せた。濃紺色の風呂敷に包まれているのは、小さな物である。


「これを貴方にお渡しします」

「な、何だよこれ……」

「絵の具です。貴方の絵はあまりにも酷くて見ていられないので、いっそのこと練習をしてみては如何かとこれを持ってきました」


濃紺の風呂敷から、突然ふしゅうううう、と言う奇妙な声とも音とも取ることができないものが聞こえてきて、白澤は、また一気に後ろへと後退った。


「絵の具って……、嘘吐け!今何かふしゅううううって音がしたぞ!?」

「何言ってんですか。近頃の絵の具は音がするんですよ?そんなことも知らないとは、流行遅れも甚だしい」

「いや、流行遅れとかそんな問題じゃないだろ!大体、絵の具からそんな変な音しないだろ!?」

「…………チッ」

「おい、お前今舌打ちしただろう!」


そんないつも通りのやり取りが一体いつ終わるのだろうかと端から見ていた桃太郎は暢気に大欠伸をしていた。よくもまあ、飽きずに口論できるものだと思う。端から見れば、良く似た者同士、もしくは兄弟にも見える。
本当に、このやり取りはいつ終わるのだろうかと少々不安になっていたが、やがてそのやり取りに決着が着いた。


「……取り敢えず、これは貴方に差し上げます。近々漢方薬の研究会があるそうじゃないですか。その時にでも使って下さい」


半ば強引に風呂敷に入った絵の具を白澤に渡した鬼灯は、何事もなかったかのように、そそくさと帰って行ってしまった。
突然やって来た嵐が、突然止んでしまったかのような静けさが、店内を満たした。暫く呆然と立ち尽くしていた白澤は、自分の持っている風呂敷に目を落とすと、無言でまじまじと見つめた。


「……ねえ、桃(タオ)タロー君?」


名前を呼ばれた桃太郎は、白澤の傍に寄ると白澤の持っている風呂敷に視線を落とした。2人は一度顔を見合わせて、同じタイミングでまた風呂敷に視線を落とした。風呂敷の中から聞こえてくるのは、明らかに可笑しな音と、声のようなもの。暫く無言でその場に突っ立っていたが、その沈黙を破ったのは桃太郎であった。


「白澤様……、これ、どうします?」


返してきますか?と尋ねる桃太郎に、白澤は頭を振った。その表情は、疲労感と引き攣った笑みが貼り付けられていた。


「返しに行くのも面倒だし、取り敢えず僕の部屋に置いとくよ」


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