その他短編

□珍しい光景
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机の上には、プリントや、開かれた教科書、問題集が散乱している。まるで、机一面が文字に埋もれてしまっているようだ。夕食を終えて、自室に戻って少し休憩をしてから、奥村燐は机へと向かった。
突然勉強に対するやる気が出たと意気込んで机に着いた燐は、課題の問題集に顔を近付けていた。先程まで握り締められていた鉛筆は、今や耳に掛けたり、鼻と上唇の間に挟んだりと、本来の目的を見失ったお飾り状態となっていた。
いつもならば、机に着いても、勉強はせずに漫画を読んだりしている。漸く勉強をしたかと思っても、すぐに寝てしまう。しかし、どうやら今回は違うようだ。机に着いて既に数十分経っているが、居眠りもしていないし、漫画も読んでいない。今回は無言でちゃんと教科書や問題集に噛り付いている。どうやら、問題が分からず悩んでいるらしい。その眉間には皺が寄っていた。普段勉強をしない燐が机に向かって勉強に励もうとする姿は、珍しいせいか何処か可笑しく感じる。微妙な呻き声を上げて、燐は顔を上げた。


「なあ、雪男……」

「どうしたの、兄さん?」


燐の隣の席に着き、赤ペンを走らせる双子の弟、雪男に声を掛けた。雪男は、燐の方には見向きもせずに相変わらず手を動かしながら聞き返した。燐は問題集に書いてあることを一頻り読んだ後、気難しそうに眉根を寄せて、雪男の方を見た。


「この問題、まだ習ってないんじゃねぇ?」


雪男は目を丸くして首を傾げてみせる。


「習っていないところなんて出してないよ」

「いや、これ絶対習ってねぇって。この問題集の……35ページ!」


その言葉に、雪男は一旦赤ペンを走らせていた手を止め、近場にあった燐と同じ問題集の35ページを開いた。一瞬、本当に自分が習っていないところを間違えて出してしまったのかと思ったが、問題集を開いた瞬間、雪男の表情が固まった。そして、ああ、と納得したように軽く頷くと、燐の顔を見てにこりと微笑んだ。


「兄さん、これ今日悪魔薬学で勉強したところだよ」

その言葉に、今度は燐の表情が固まった。そして、もう1度自分の問題集や教科書を見直した。しかし、どうやら燐はそのページの内容を習った覚えが無いらしい。眉根を寄せて問題集を睨む燐に、雪男はにこやかに答えた。


「だって、兄さん。今日僕の授業で寝ていたじゃないか。だから、習ってないと言うのは当然だよ」


そのにこやか過ぎるとも言える笑顔が、異常に怖く感じた。燐は引き攣った笑みを浮かべて誤魔化した。雪男は尚も笑みを浮かべている。授業中寝ていたのを起こさなかったのも、授業を聞いていない部分を課題に出したのも嫌がらせかと。燐は心の中で、こいつの方が絶対悪魔だと呟いた。


「授業中寝てたのは悪かったよ。だからさ、ちょっと勉強教えてくんねぇかな?」


苦笑を滲ませた燐は、雪男にそう頼んだが、雪男は既にまた赤ペンを走らせていた。


「今は無理だよ。一昨日と昨日の小テストと宿題の採点が終っていないんだから」

「じゃあ、採点終わった後でいいからさ」

「採点が終ったら、明日の授業の準備をしなくちゃならないから……」


小さく溜め息を吐いた雪男は、ペンを動かすのを止めると、燐の方をちらりと見た。


「兄さん、もう少し自分で努力したら?大体、今35ページやってるんだよね?僕が出した課題は35ページから45ページ、しかも今兄さんが解いているところは基礎問題だよ」


少々呆れ気味に言ってくる双子の弟に、燐は眉根を寄せたまま黙って話を聞いていたが、つらつらと嫌味なのか文句なのか区別のつかない弟の言葉を聞いて自棄(やけ)になったのか、燐は自分の机に向かった。自分がちゃんと出来るという事を見せ付けてやろうじゃないかと鉛筆を握り締めたのであった。


それからまた1時間程の時間が過ぎた。問題数は1ページに30問、教科書で一々チェックをしながら、漸く5ページを終えることができた。張り詰めていた神経が安心したせいか気持ちが少し緩んだ。椅子に座ったまま大きく伸びをした。後5ページだ、自分でも本気を出せば出来るのだと思った。それを報告しようと、双子の弟の方をちらり見やる。おい、雪男と声を掛けても何故か返事は返って来なかった。
今度はしっかりと雪男の方に目を向けると、規則正しい寝息を立てて、机に突っ伏している雪男の姿があった。元々、燐よりも寝る時間が遅く、起きる時間も早い雪男である。きっと今まででも相当疲れていたに違いない。燐はふっと笑うと、雪男のベッドから適当に毛布を引っ張り出して雪男に掛けてやった。寝ている表情はいつも燐よりも大人びているのとは対照的に何ともあどけないものであった。あまり見ることのない珍しい光景に、燐はまた自分の席に座ると、小さな声で呟いた。


「弟のくせに、兄貴より頑張ってるんじゃねぇよ……」


窓から見える空の色は、夕食の後の藍色ではなくて、既に漆黒の闇に無数の光を散りばめていた。それは、きっと自分が頑張ったと言う証拠だと燐は思ったのだった。


→おまけ(後日談)
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