忍若
□死神の蝋燭
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「ありがとうございました」
「お大事に」
侑士は死神の言うとおり医者になった。
しかし大学院で地位や権力、名誉を競う医師ではなく、町医者をしている親戚の助けを借り、開業医として医師免許を取得した。
診断結果は死神の示唆するまま患者の耳に届けた。 逆らう理由などなかった。
侑士のもとへやってくる患者の多くは比較的簡単な治療で治るものが多く、外科医としての目から見ても死神の判断はいつも正しかった。
まれに大きな交通事故などで運ばれてくる患者の足元に立つことがある程度だったのだ。
(こいつの言うとおりにしていれば金には困らん、けど、)
「退屈や」
侑士の零した一言に死神は氷のように冷たい微笑で、まぁそう焦るなよ、と意味深なことを口走った。
なんや気味悪いな、と往診の準備をする侑士に死神の瞳の奥にぎらつく屈折した輝きは見えなかった
「問診いくで」
侑士は黒革の医療用バッグを掴むとコートを羽織った。
死神の姿はもう部屋にはなかった。
侑士は問診の時に稀にとおる古武術道場を垣間見るのを楽しみにしている。
こんな灰色のような生き方をしていても、そこにある空気、そこにこだまする掛け声、熱、志はいつも色鮮やかに見えるような気がした。
そしてなによりその中で一等熱心に身体を動かす少年の凛と張りつめた瞳に魅了されていた。
電話越しにたずねた住所へ明日を運びながら、今日もまた聞こえてくる賑やかな掛け声に思わず口元がほころんだ。
しかし、書き留めた住所は道場の脇にある離れの民家だった。
「若さん、お医者様がいらっしゃいましたよ」
「どうぞ」
古い道場の離れに今日の患者は横たわっていた。
ゆっくりとその線の細い体を起こす。
侑士はその顔をよく見知っていた。
往診にでかける道すがら、いつも眩いばかりに輝いていた彼が今日の患者だった。
侑士は垣根越しに眺めては、彼の姿を指の先まで美しいと感じていた。
あんなに元気そうだったのにどうして、と思った矢先、死神が動いた。
死神は若と呼ばれた少年の足元に立っていたが、にやりと笑うとそのまま枕元へと進み、まだ新しい畳の上に腰を下ろした。
侑士は生唾を飲み込んだ。
急ぎ診察をはじめるが、脈拍は弱く、診察の間、体を起こしているのも辛そうな状態にまで衰弱していた。
(なんでや)
侑士は死神を睨んだ。
わざとじゃないのかと頭をめぐる。
侑士が彼をこの世界のなかで唯一純粋で汚れないものとしてこれまで大切に思って見守ってきたのを、面白がって悪戯に反応を楽しんでいるのではないかと。
「今更確認するまでもないが」
「わかっとる」
「ならいい、早く告げてやれよ、いつものように、淡々と、俺の出した答えを」
死神はさらりと落ちた金色の前髪を撫で上げるとぎらつくひとみで侑士を睨みつけるように縫いとめたまま口元を歪めた。
(嫌な顔しやがりよる)
「どうか、しましたか」
少年の声に我に返る。
二日前、ここを、この道場を通った時は元気そうだったじゃないか、なぜ、と自分に問いかけながら、なんでもない、と聴診器で彼の鼓動を確かめる。
このくらいの年の子にしては随分とよわい。
「どうも、ありがとうございました」
帰り際、診察結果を告げた口からは嘘が飛び出していた。
とんだやぶ医者といわれてもいい、それくらい嘘のように元気になってもらいたかったからだ。
「あとどのくらいやねん」「……ひと月だな」
ぐっと唇をかみしめていた。