蓮仁蓮

□青空を翔ける男
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柳はデスクに山積みにならんだ資料を整理しながら、その内容を頭に叩き込んでいった。
あの時取り逃がしてから、いや正確には見逃してから。
犯人はパイロットにとどまらず、小児科医、弁護士、青年実業家など、実に器用になりかわり、巧みに操作の手からすり抜けてゆく。
操作チームの中の誰かが、変幻自在、自由なイリュージョニストだな、と冗談まじりに例えたとき、柳は懐かしい立海テニス部メンバーの写真をじっとみつめた

(そんなはずはない、そうだろう、仁王)


柳は己の推察力がおよそ他人とは比べ物にならない程のものだということをよく理解している。
そして、今夜は小雨がしとしとと降り続ける、気だるい1日だった。




「あ〜、もう最悪じゃ」

仁王は雨宿りにちょうどよい軒下に飛び込むと、濡れた頭を軽く振るい、顔を拭った。
近頃、自分を追い続ける手が確実に袖口を擦るほどギリギリまで追い詰めてくる。
紙一重で免れる、そのスリルが一流を極めていくのを実感できるようで堪らない。
学生時代にした柳との口問答を思い出す。
どんな屁理屈を捏ねても、いつも柳が一枚上手で、結局クソ暑い真夏の日差しの元へ連れ戻された。

「懐かしいのう」

久しく低く、重く、穏やかでいて、厳しさをもち、物腰の柔らかさの割に痛い所をピシャリついてくるあの声を聴きたくなった。

(みんな今頃、どないしちゅうがか)

仁王は足早にすぎてゆく人通りに目をやった

「ぴよ!」

その雑踏の中には、今しがた思い浮かべた人物が、あいもかわらぬ凛とした背筋で、雨水の跳ね返りを気にする様子もなく、つかつかとただ前だけをみて、歩いていた。
仁王は思わず、声をかけた。

「参謀」

柳は少し驚いた風でいて、しかしそれでもすぐ前と変わらず応えてきてくれた

「仁王じゃないか、お前、どうしてこんな所にいるんだ、」

びしょ濡れじゃないか、と綺麗にアイロンのあたったハンカチを差し出してくれる。

「今、ちょうどおまえさんのこと、思い出しちょったとこじゃ」
「なんだって」

柳は久しぶりに出会ったにもかかわらず、少しも高揚する気配なく、風邪を引くからどこか適当な店に入ろう、と来ていたジャケットを傘代わりに使うよう突き出してきた。
仁王はそれを受け取ると頭からかぶり、柳のあとをついて歩いた。



「なんじゃ、参謀、連絡取っちょらんのか?」

仁王は意外だとばかり言いたげなほど、細い狐目を見開いて驚いた
てっきりまだ真田や幸村あたりとなら付き合いは続いているのだろうと思っていた柳が、誰とも連絡を取り合っていなかった

「忙しさのせいにしたくはないが…積極性にはかけていたな…」
「……」

ため息混じりに話す柳の姿に、仁王は懐かしい夢のようなふわついた心地から、一気に現実に引き戻され、我に返った。

「ところで、お前は今、何をしているんだ」
「相変わらずじゃ」

しょうもない悪さばっかしちょる、とおどけてみせれば、柳はふっと口元だけで笑う

「参謀はかわっとらんのぅ」
「お前も今、自分でかわってないと言ったじゃないか」

それきり、会話は途切れてしまったが、お互いに同じころを思い浮かべていた。
屋上で、ふたりで空を見上げたあの日も、こんな言葉なく、語り合うような妙な感覚を覚えていたから。

「…そろそろお前さんを見習って、真面目に生きてもええかもしれんのぅ」
「そうか」

柳は半がわきになった仁王の頭をくしゃりと握ると笑みをこぼした。

「じゃあな」
「ああ」

背中あわせで左右別れて店を出た。

(もう逃げるんはやめじゃ)
(次に会う時は…)

お互いに一度も相手を振り返らなかった。

(もうこん遊びはやめる)
(必ず俺が止めてやる)

最後の一勝負で。
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