忍若

□ドライビングスクール
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「ん、ほな次、2番の縦列行こか」

 忍足の声は最初と変わらず低く穏やかに響いてくる。
 だんだんと冷静さを取り戻し、縦列駐車は問題無く出来た。

「ん、ほんでなんて言うんやった?」
「は?」

 あれ、前の時間に聴かんかった?と忍足は小さい紙切れを出してきた。
 それは若ももらった方向転換・縦列駐車の要点を簡単に図説し、コピーしたメモだった。

「駐車しおわったら、完了しました言わなあかんねん」

 あほらしいけど一応決まりやから、次から言って、と言う忍足の指先には、プリントに記された文字が赤色でチェックされて主張していた。
 若がもらったプリントよりもずっと丁寧にハンドルを切るタイミングとして、目印になるポイントなどが書きこんである。
 若は素直に前回の教官には悪いが、忍足のプリントのほうがほしかったなと思った。

 それから別段おかしな失敗をしでかすこともなく、時計に目をやると、教習時間も残すところ三分少々となっていた。
 思っていたより教え方は上手かったなと思う。

「ほなちょっとハンドルかして」

 忍足は突然、横から腕をぐんと伸ばしてきた。
 若はぎょっとしたが、ハンドルに伸びた忍足の指はすらりと長く、片手でクルクルと器用にハンドルを操作し、車は未使用車の間に吸い込まれていくようにきれいに並んで納まっていった。
 若は心底うまいと感心し、その手が引っ込んで行くのを目で追い、忍足の方を見た。

「はい、次は複数やから、おんなじくらいの進み具合の子の運転体験して、エエとこ悪いとこよう勉強して」

 忍足はわかしの手帳を返し、お疲れさんと降りて行った。
 結局、今日一日、一度も目を合わせることも無く。
 車内に残されたわかしは何だかわからない物足りなさで、手帳に押された忍足の判を眺めていた。
 教官が一人さっさと戻って行ってしまうことはなんら珍しいことでもなく、むしろ大方の教官がそうだった。
 稀に車内に残り、生徒資料に何やら書き記す教官もいる。
 それでも仲良く並んで一緒にロビーへ戻っていく教官にはお目にかかったことがなかった。
 先に戻られたからといって面食らったのは最初の一日目だけだった。
 それも自分の幼さを知ることになっただけで、不満に思ったことなど今まで一度たりとも無かったのだ。
 だから今の忍足の行動にもおかしいところなんかない。
 けれども、若は何か物足りなく感じてしまった

 どこかで期待していた。

 いつだったかに見かけた光景を。

(俺が女子だったら)

 もっと笑いかけたりしただろうか。
 若は自分の思考がおかしくなってきたことに眉間をしかめ、後部席の荷物をひっ掴んで車内から出ていった。
 送りのバスの中では、ばかにぼんやりとしていた。
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