蓮仁蓮

□HAPPY BIRTHDAY
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 二本の手はゆっくりと蓮二の酸素マスクへと伸びていった。
 ちぎってしまえ。
 蓮二と苦しみをつなぐ全てを。
 俺がもう止めてやる。
 お前を自由にしてやるから。
 瞬きも忘れた俺の視界がじわじわと滲んで、指先が触れるまであと数センチに迫ったとき、蓮二はそれまで閉じていた目をカッと見開いた。
 硬直し、痙攣を起こす蓮二の体。
 忍び寄っていた俺の恐ろしい両手は蓮二の肩を掴み、蓮二、蓮二と馬鹿みたいにでかい声をあげてひたすら名前を呼びかけていた。
 蓮二、蓮二、俺がわかるか。
 ナースコールのブザーを何度も何度もしつこく押しながらわめいた。
 蓮二が苦しんでいるのに。
 こんなに苦しんでいるのに。
 何で誰も見ていてやらないんだ。
 (早く早く)
 誰か居ないのか、大声でわめき散らす俺を駆けつけた職員が蓮二から引きはがし、脈拍やらなんやらを確認しているのを見て、俺は馬鹿野郎と怒鳴った。
 何やっとるんじゃ、早う助けてやれよ。
 ついさっき蓮二の酸素マスクを外そうとしていたこの俺が。


 興奮しすぎてパニック状態に陥っていたせいで蓮二の部屋から引きずり出され、厳重な注意を受け、真っ暗闇の外へ放りだされた。
 気が付けば柳生の家の玄関口にたどり着いていて、萎れた白つめ草のようになって項垂れ、しゃがみこんでいた。
 頭の中思い浮かぶのは、よく言われるような元気だったころの蓮二や、楽しかった蓮二との思い出話なんかではなく、一番新しい蓮二の姿だけだった。
 すがるように目を見開いて濁った黒い瞳に喚き散らす俺の姿を映す。
(実際には俺と認識できていたとは思えない)
 蓮二の悲惨な姿。

 そのまま柳生の家に転がり込んでいると、数日経って蓮二危篤の連絡が入った。
 元テニス部全員で最期にもう一度見舞おうと、懐かしい面々とともに訪ねた。
 いよいよとなればその場には身内のみしか残れないのだと説明を受け、ぞろぞろと入室していく一行の一番最後に続いて病室へ入った。
 蓮二はあのときより一層大きな口を開け、くっきりと浮き出たのど仏を大きく上下させながら、酸素を取り込もうと必死に呼吸していた。
 直視することが出来ず顔を背け、ぐずりだす奴もいたが、俺は最期まで睨みつけるようにその顔を見続けてやった。
 もっと見舞ってやればよかった。
 なんで最初に幸村が教えてくれたあの時、会いに行かなかったのか。
 あの時行っておいたならもっと元気な姿の蓮二に会うことが出来て、聞き上手な蓮二に俺の大袈裟に話を膨らませた旅のエピソードをきかせてやれたはずだったのに。

 心の中のどこかで、それでも蓮二が居なくなるなんてことはありえない、そう思っていた。
 蓮二がどんなに苦しんで、死のふちを彷徨うようなことがあっても、その次の週にはまた少し回復して、同じように苦しそうにしていたとしても、まだずっとそこに居てくれる、そう思って疑わなかった。
 あの日、あのとき、蓮二のマスクと管を全てはずしてしまっても、蓮二は少し苦しそうにしただろうけれど、死んだりなんかしない、そんな幼稚な思いを抱いていた。
 世界中のいろんなものを見たいんだなんて、俺はなんてばかなことを言っていたのか。
 蓮二と過ごす時間がどれほど煌びやかでかけがえの無いものだったか。
 今頃になって気づくなんて。
 はたりはたりと落ちていく涙の意味なんて知らない。
 怒りなのか、悲しみなのか、まだもう少しだけ蓮二とこうしていられる喜びなのか。

 20XX年6月4日、干潮の時刻、蓮二は死んだ。
そんなとこまで計算どおりか、と零してひんしゅくをかった。
 俺は今蓮二の墓の前に立っている。
 それでも俺は、蓮二がまだあの病院のあの部屋の、あの奥のベッドの上で、苦しそうに息を吸いながら眠っているような気がしてならない。
 黙って隣で手を合わせていた柳生が静かに口を開いた。
 貴方に伝えるべきかずっと悩んでいたのですが、もう一年ですし、と相変わらず回りくどくぐずぐずと話す。

 柳君はいつも貴方のことばかり気にかけていました。
 今はどの辺りを歩いてるんだろう
 ちゃんと飯を食ってるとは思えない
 でもきっとあいつは甘え上手だから、どこへ行っても差し伸べてくれる手があるんだろうな
 喜びにまみれていなければこんな写真はとれない
 だが少しは心配する周りの身にもなってほしいものだな、と。

 そう言って蓮二は笑って俺の送ったはがきを眺めていた。
 毎日毎日飽きもせず。
 気まぐれに送られてくるだけの俺のはがきを見て。
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