蓮仁蓮
□死神よ、こんにちは
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「へえ、会計士、じゃあ俺が正式に会社を立ち上げる時はよろしく頼むナリ。そういう細かいの苦手じゃけ」
蓮二は軽く笑って引き受けようと答えた。
「そろそろ時間だ」
「ええ、もう。もうちょっとしゃべっとって」
「次の仕事があるから」
蓮二が席を立つと青年もまた同じように席を立った。
一緒に店を出ると、蓮二はじゃあ、と青年を見た。
青年もまた、おう、と短く応え、蓮二を見た。
「楽しかった。ありがとう」
「ああ、それじゃ?」
蓮二は少し口ごもった。
さようならという言葉がのどにつかえて出てこなかったのだ。
「おかしいのう、ここまできとるんじゃけど、言えん。」
青年がのど仏を中指で押して見せるのを見て、蓮二は思わず吹きだした。
「惚れてしもうたかのう」
蓮二は穏やかに笑って惚れてしまったかもしれないな、と返した。
そんな蓮二の答えに、青年は少し照れたように笑ったかと思うと、もの言いたげにじっと蓮二に視線をよこしてきた。
蓮二は動揺した。
(答えてはならない。)
瞬時に蓮二の頭がはじき出した答えはそれだった。
「それじゃあ、本当に」
「…ああ」
蓮二は体を反転させると青年に背を向けた。
一歩、二歩歩いていく蓮二の背を見ていた青年も、あきらめたように背を向けた。
ふたりは何度も振り返った。
けれど、タイミングはことごとくずれ、ただの一度も互いの視線が再び交差することはなかった。
そして青年が最後に振り返ったとき、蓮二は角を曲がり、姿を消した。
(縁がなかったナリ)
また、蓮二が思い直して通りを覗きに戻ったときには、青年は雑踏に紛れ見えなくなってしまった。
(…人の縁なんてもの、こんなもの、か)
そうして蓮二はその数分後、青年が事故に遭い、この世を去ってしまったことを知ることができなかった。
幸村は終業後のオフィスでひとり、ソファの背もたれにぐったりともたれかかると、深く深く、呼吸を繰り返していた。
すると一人のはずの部屋から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
((そうだ。精市、お前の質問への答えは「そうだ」だ))
幸村はソファから立ち上がると、あたりを見回した。
誰もいない。
だが声は確かに知る声だった。
「人のオフィスに勝手に入り込んでかくれんぼかい?」
幸村がデスクの緊急スイッチを押そうと身をかがめたそのとき、体に異変は起こった。
胸を締め付ける激しい痛みと息苦しさに思わず膝をついた。
声の主はかまわず先ほどから同じ言葉を紡ぎ続けている。
「質問とは何の話だ」
((何の?お前がこのところ毎日自身に問いかけ続けているあの質問だよ))
幸村の顔からは血の気が引き、肌の色は真っ白に変わっていった。
「お前は誰だ」
((お前はもう知ってる))
死、神、と途切れ途切れにつぶやいた。
膝が震える、そんな体験は初めてだった。
((お前に猶予を与えてやろう、精市))
声はほかの誰でもない、精市自身の声だった。
こめかみを伝い落ちる脂汗がポタリと床に落ち、しみを作っていく。
((人間界に興味がわいたんだ。しばらく人間としてここに留まる))
次第に治まっていく胸の痛みとは別に、掻き乱れた精神が安定するのはもっと先のように思えた。
幸村は乱れた息を整えようと肩を揺らしながら、死神の発する言葉を、ただの一言も聞き漏らさぬよう拾った。
((精市、お前にはガイド役になってもらうよ))
死神にこの世界の案内をすること、それが幸村が命を延ばすための唯一の手段だった。
「なぜ、俺が」
幸村は固く歯を食いしばり、拳を握りしめた。