蓮仁蓮
□耳なし蓮二、仁王サイド
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雅治にとってこんなに幸福な気持ちで眠りにつけたのは初めてのことで、それはもうぐっすりと眠りこけてしまい、次に目覚めた時には、また真っ暗闇の夜になっていました。
(ああ腹が減った。喉もカラカラじゃ)
またあの寺に行けば、この乾いた喉が癒え、空腹を忘れられるかもしれない。
何より、あの男に昨日のお礼を言わなければ。
雅治は暗闇の中を歩き出しました。
そうしてどのくらいか歩くと、やっぱり男の声が聞こえてくるのでした。
しかしせっかく寺にたどり着き、男を前にしても、肝心の声はやっぱり干上がっていて、か細い声さえも出てはくれませんでした。
仕方なく雅治は昨日よりまた一歩前へ出て、昨日と今日のお礼は明日言おう、と男の読経を聴くのでした。
しかし幾日かたっても結果はいつも同じで、いつまでたってもお礼を伝えることはできませんでした。
変わっていったのは男と雅治の距離だけ。
いつの間にか雅治は男を恐れる気持ちをすっかり持たなくなり、すぐそばに腰かけて男の読経に耳を傾けるようになってたのでした。
ある夜、いつもにっこり微笑んで経を上げてくれる男が雅治に訪ねてきました。
「毎日毎日こんな夜更けに訪れるのには、なにか理由があるのだろう?」
まさか本当に俺の拙い読経を聴きに来ているわけではないだろう。
何か話したいことでもあるのではないか。
雅治は男が自分の気持ちを汲んでくれようとしてくれていることに嬉しくなり、何とか気持ちを伝えたく、男の月の光に照らされ青白く輝く美しい頬にそっと触れました。
すると雅治の体の中に男のこれまでの歩みがまるで紙芝居でも見ているかのように流れ込んでくるのでした。
(お前さん、蓮二ちゅう名前なんか。お前さんによう似合うて綺麗な名前じゃ)
雅治は蓮二もまた自分と同じく、親と生き別れ、一人ぼっちだったことがあることを知り、蓮二にならあのときの俺の気持ちがわかるかもしれない、と思いました。
しかしその反面、蓮二にはもう真田がいる。
けれども自分にはそんな人間はひとりもいない。
そんな複雑な思いも抱くのでした。
ところがうつむく雅治に、蓮二はこれからも毎日お前のために経を読み上げよう、と約束してくれるのでした。
雅治はほんわか体が温まるのを感じました。
(俺には蓮二にとっての真田のような奴はおらんかった。けど今は違う。)
蓮二は俺にとっては蓮二にとっての真田と一緒だ。
雅治は蓮二を大切に思うようになり、それからも毎夜蓮二の元へと足を運ぶのでした。
蓮二とすごしていると次第に喉の渇きは癒え、くたびれた体にも力が宿ってくる。
楽しい一晩はいつもあっという間にすぎ、いつの間にか蓮二は雅治の全てになっていました。
楽しい夜が何日か続いたある夜、いつもどおり蓮二の元にやってきた雅治は、いつものように蓮二の隣に腰をおろし、蓮二の経を聞こうと蓮二が口を開くのを待っていました。
けれど蓮二は一向に経を読んでくれませんでした。
不思議に思って横顔を見つめてみても、経を読み出すどころか、言葉を発しようとする気配もありません。
(蓮二?)
しかし今夜はもう雅治の喉には以前のように声が戻っていたのです。
雅治は、今日は読んでくれんのか、と声に出して訊くことが出来ました。
しかしそれでもなお返事をもらえず、もしやまだ自分の声が聞き取りにくくて聞こえないのかもしれないと、法衣の裾を引っ張って呼びかけてみました。
すると、蓮二はゆっくりと閉じていた瞳を開き、こともあろうにまるで憐れむような視線をよこしてきたのでした。
(やめてくれ、そんな目で見るな。)
雅治は急に恐ろしくなり、その場を離れました。
蓮二はどうしてしまったんじゃ、昨日まであんなに楽しそうに話してくれたのに。
暗い暗い夜の道を雅治は蓮二と出会う前に逆戻りした時のように心細く、重苦しい気持ちで彷徨い続けました。
(暗い、暗い、蓮二、蓮二)
喉が乾いてひゅうひゅうなる、助けてくれ
両膝を抱え丸くなりながら、蓮二の穏やかな微笑みを思い浮かべると、雅治は小さく縮こまって眠りについたのでした。