忍若

□幸せのありか
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12月の雨上がり、冷たい風が若の頬を容赦なく吹き抜けていった
何となくうちにいるのがいやで、用もないのに外をあてもなく徘徊していた
土曜日の街は人であふれかえり、クリスマス商戦真っ只中のショッピングモールを抜け、この時期なら人も少なそうな海沿いを目指そうと、横断歩道をわたりきると、サンタクロース姿のカラオケ店員が活気よく声を張り上げながら、サービス券を手渡してきた
若にカラオケの趣味はない
音楽は昔から苦手で、人前で歌うなんて拷問だと考えていたくらいだ
それなのになぜか若の足は吸い込まれるようにエレベーターの中へと進んで行った
お一人様ですか、と尋ねられ、はいと答える
他にだれかいるように見えるなら、お前は寺で修行してきたほうがいい、などと内心思いながら、案内どおりひとつ上にある部屋に向かった
いきなれない場所に勝手がわからず、灯りすら付けられず、昔、氷帝テニス部時代に一度だけ連れていかれた時のことを思い出しながら、マイクをとった
最近流行りの曲なんて何も知らない
いちびって音楽を聞いていた高等部時代の懐かしい曲ばかり選曲しては、知っているところだけなど、笑うものは誰も以内のだからと、とりあえず歌ってみた
案外難しいものだな、と思いながらもそれなりに楽しんでいる自分が確かにそこにはいた
結局寝そべって休憩を入れたりしているうちに呼び出しのコールが鳴り、外に出ると日は落ち、街並みのイルミネーションを目的にやってきた人だかりが、若の視界にどんと飛び込んできてうんざりした
帰ろう、と駅を目指し、人の合間をすり抜けていく
そしてそこで思わぬ光景を目にするはめになった
運が悪いのも昔からだ
前から幼子の手をしっかり握ってあるいてくる
小さな女の子は両親の間で手を採られ、ちいさくじゃんぷしてみせる
買ったばかりのクリスマスプレゼント
巻き髪と派手な化粧が目を引くいかにもブランド好きそうな母親
休日は家族と過ごす、そういう約束で始まった
優しい父親の顔をした侑士が若の真横を通りぬけていく

(あれが奥さん、あれが子供、)

若は目がぐるぐるとまわるような錯覚を覚え、駆け出した

改札口を通り、ホームに駆け上がると停止中の電車に飛び乗った

空いていた四人がけのシートに座る
斜め前には細々と年金暮らしでもしていそうな老婆が先に腰掛けていた
なんとなく気持ちが落ち着いた
こんな時間にひとりで電車に乗っているなんてきっとご主人にも先立たれ、今は独り身に違いない
若は深く息を吸って窓の外をみた
キラキラと賑やかな装飾が若にはなんて無駄なものだろうと映った
付き合ってくれと頼んだのは、侑士たちが全国大会の応援にきてくれたときだった
侑士の答えはまた次に逢ったときも、まだその気持ちが変わってなかったら考えたる、という和かな拒絶だった
それでも若の心は変わらなかった
もう交わる事はないだろうと思っていた侑士と再会できたのは宍戸の結婚式のときだった
氷帝メンバーで一番に所帯をもつこととなった宍戸は照れくさそうに乱暴な口調で冷やかしを受け流していたが、若はその輪の中に混ざる事無く、独り煙草を吸う侑士の傍にたった

(約束を覚えていますか、)

いっそ嫌われたほうがすっぱり忘れられる、そんな気持ちで声をかけたのに、侑士は少しだけ目を見開いて、煙草の火を消した

まさかええよ、なんて言葉が帰ってくるなんて思いもしなかった
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