お題

□お別れのキス
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『よろしかったのですか?…妹君を行かせてしまって』

着かず離れずの程よい距離に控えていた腹心が、背後から声をかけた。

優姫が消えていった雑踏にぼんやりと視線を送りながら、高貴な吸血鬼は小さく笑った。


『良いも悪いも…彼女は人形じゃない。したいようにすればいい』

興味なさげ、とでも言うような突き放した答え。

無表情のまま小さく手を挙げれば、給仕係が無駄のない動きで葡萄酒を運んできた。

流れるような所作で受け取ると、壁際のソファーへ身体を預けた。


ゆらゆら波打つグラスの中の液体を覗き込む。
不透明なそれはいくら凝視しても、向こう側が見えるわけでもないのに。


『…そう、ですか』

腹心は複雑な表情を隠さずに曖昧な返事をすると、視線をホールの出口に向けた。

妹君は、あのハンターを追ったのではないか。
度々開かれる夜会で顔を合わせる二人。

決まって示し合わせたように席を外している。
相容れない立場に立たされながら、過去に断ち切れなかった絆。


それが今になって疑念を抱かせる。


純血の姫と銀のハンター。


そして、静かに黙認し続ける婚約者は、吸血鬼社会の頂に君臨する純血の王。


『滑稽だろうね、僕らの歪な関係は…』


誰に言うわけでもなく呟いた言葉。
腹心は心の中を読み取られたのか、と肝を冷やした。

しかし、無表情だった麗しい吸血鬼は、優雅に含み笑いを湛えていた。

『優姫は分かっているから…自分の居るべき場所が何処なのか』

確信めいた言葉を並べて、グラスを揺らす手を止めた。
刹那的な逢瀬くらい、黙認してあげよう。

ハンターの皮を被ったレベルEに残された時間など、僕らにとってみれば流れ星が煌めく程度の一瞬。

彼女は永遠に近しく僕のものなのだから。

そんな些細な存在など、気に留めるのは無駄なこと。
少女の胸を躍らす恋情も一時の気の迷い。

そう思えば、彼女の小さな裏切りも寛容に許せてしまう。
下手に問い詰めて、彼女の心が離れてしまうほうが怖かった。
だから、しらないふりをして、微笑んで、君が戻って来るの待つだけ。

狡くて、臆病な婚約者。

君も、僕も、お互い様。

妖艶に笑うと、葡萄酒を煽るように飲み干した。


『大丈夫…きっと彼女は戻ってくる』


腹心は案ずるように眉をひそめたが、純血の王は素知らぬ顔で給仕係に合図を送り、また新たなグラスを催促した。



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