お題

□お別れのキス
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シャンデリアの煌めき。
ワルツのステップ。
血の香りのする葡萄酒。
一身に向けられる好奇の視線。
初めは戸惑うことしかできなかったけれど、今は違う。

慣れ、とは恐ろしいものだ。

優姫は臆することなくピンヒールの踵を鳴らして、群がる同族の人垣に歩を進めた。

ここは、華やかな欲望渦巻く吸血鬼たちの夜会。

今夜のために新調したドレスは、肌触りの良いシフォンに幾重にもレースが飾られている。

まるでお姫様みたい。

それは錯覚ではなくて、現実のものとなった。

すれ違う吸血鬼達は頭を垂れて、恭しく膝を折る。

下心を孕んだ敬服のキスを手の甲に受け、にこりと愛想笑い。
血色の葡萄酒が揺れるグラスを傾けて、そっと口に運んだ。

毒々しい赤は、血の味とアルコールが混ざった代物で、お世辞にも美味しいと言えるものではなかった。

それでも、表情を崩さずに口の中の液体を飲み下せば、隣に寄り添う婚約者は満足げに微笑んだ。

『夜会にも慣れてきたようだね』

麗しい容姿と絶対的なカリスマ。スマートで抜け目のない、完璧な婚約者は表情を綻ばせる。


優雅な動作で優姫の手から空のグラスを取ると、後ろに控えていた給仕係に片付けさせた。

一礼してグラスを下げる給仕係を何気なく横目で追い掛けると、並み居る人柄の向こうから注がれる鋭い視線とかちあった。
気怠そうに壁に寄り掛かる、銀色のハンター。

着崩れたフォーマルスーツから見え隠れする銃は、この命を奪える唯一の脅威。

優姫は刺すような浅紫の視線に射抜かれて、一瞬呼吸を忘れた。久々の再開に、淑女の仮面が剥がれ落ちそうになる。

取り繕うように、そっと長い髪に指を絡ませては気持ちを落ち着かせて。

もちろん視線は逸らさないまま。
ハンターは優姫の視線を搦め捕りながらホールの扉へと目を向ける。

ふと、緩んだネクタイを鬱陶しいげに毟り取った。

それが小さな合図。

『おにいさま、少し席を外します』
怪しまれないように、ごくごく自然に。貼付けた笑顔は慣れたもの。


『…そう、付き添いは?』

『必要ないです、すぐ戻りますね』

不安げな婚約者を安心させるように微笑んだ。

今、私は間違いなく本心から貴方に微笑んでいるけれど。


これは貴方を騙すための微笑み。騙された貴方は優しく微笑み返してくれて、安心感と罪悪感が半分ずつ。

そんな偽善に苛まれても、心は彼を追いかけたくて騒ぎ出す。

『…行っておいで、』

なぜか、悲しげに見えた婚約者の優しい笑顔。

その微妙な表情に気付かないふりをして、優姫はふわりとドレスを翻した。



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