Novel-Ι

□しあわせの条件
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突然訪れる幸福なとき





『しあわせの条件』





きっとみんな、探しているだろうな。


小高い丘の上の、見渡すばかりの草原の中に、ジョットはいた。心地よい風が吹き抜ける。夕暮れ時の、空が燃えるような緋色に染まるこの時間が、ジョットはとても好きだった。草むらに横たわり、天を仰ぎ見る。雲が流れていく。遮るものは何もない空の広大さに、ジョットはほっと解放感に満たされる。



逃げ出した訳じゃないけれど。



つい先程会議を経て、今後の重点施策を決定した、これからこの計画が実行されるのだ。血が流れることを嫌うジョットには、決して本心から望んだ方法ではなかった。しかし、自分の個人的な感情だけで組織を動かすことは、組織の壊滅へと繋がる。ボンゴレプリーモと呼ばれるときは、常に冷酷で、皆に恐れられる存在でいなければいけない。プリーモとして下した決断に迷いはない。作戦は成功に終わるだろう。でも…



変わらないものだってある。



この景色を美しいと思う心や、誰かにすがりついて胸の内を吐露できたら、と思う気持ちが。



ジョットは、両手を天に向かって掲げる。掌に浮かび上がる蒼い血脈、ちゃんと脈打っている、大丈夫だ、まだ息づいている。



指で形づくったフレームの中で、刻一刻と変わる空の緋色が、夜の闇をともない始めていた。



逃げ出した訳じゃないんだ、ここへこれば自分を見失わずにいられるから。この空の色や、みんなの笑顔に癒されるから。みんなの…


(蒼碧色の髪の、甘やかな瞳のあの男に)



ジョットは、ブルッと身を震わせた。怖いと思った、誰かを心に抱くこの気持ちが。胸に込み上げる甘い感情の波が、すべてを洗い流してしまいそうで。作り上げてきた自分自身が、脆くも崩されてしまいそうで。



ジョットは、胸のうちを隠すように自身を抱きすくめ、身を寄せた。大空に包まれたこの場でさえ、許されないのだろうか。彼の人の名を、口にすることを。



「……スペード…」
絞り出すように、微かに空気を震わせる程度に、音にする、愛しい人の名を。



じわりとあたたかい気持ちが胸を覆う、真綿でくるまれるような安心感と安らぎで満たされる。ジョットは、眼を閉じて、しばらくこの感覚に浸った、甘く切ない感情は全身を駆け巡り、わだかまりを溶かしていく。もっと、感じたい。



「…スペード………スペードッ…」



「そんな切ない声で私を求めないでください。ジョット」



眼の前に、スペードの艶やかな瞳があった。



あっ…
ジョットは我にかえり、恥ずかしさのあまり顔を背ける。きっと、自分は今ものすごく情けない顔をしている。



くすっと、後ろでスペードが笑っている。どうしてここへ来たのだろう、スペードは諜報活動のため遠征中のはず。しばらくは戻れないと、この間報告を受けたばかりだった。長く厳しいミッションになると、出張前夜、自らジョットの部屋へ赴き、無理矢理その存在を身体中に刻み付けて…



ジョットは更に顔が赤らんで熱を帯びるのがわかった。



「…スペード、なんで。」

「あまり部下を困らせてはいけませんよ。屋敷内では大捜索が始まっていました、あなたがいなくなれば、ボンゴレは形を成さないんですから」



スペードは、ジョットの髪にそっと触れる。空の色を反射して、琥珀色に艶めく愛しい人の髪を、そっとすく。



「ここにくると、あなたは、私だけが知っている愛しい人になる」



すきあげた髪の隙間から、白いか細いうなじが覗く。スペードは、ゆっくりとその首筋をあらわにし、喉元から円を描きながら撫で上げる。



触れられた部分から甘いしびれが走る、スペードの低く官能を呼び覚ますような声に、これが幻覚ではないことを感じとる。



「あなたが呼んでいるような気がして、戻ってきてしまいました。
さみしかったですか。」

「…そっ、そんなこと、…あっ…」



スペードの手が襟元に滑り込む。横を向いたジョットの後ろから覆い被さるように重なり、もう片方の手で髪を掻き分けるとうなじにそっと唇を寄せた。



「ここには、私以外誰もいない、あなたがプリーモである必要はない、私の愛しいジョット」

「スペード」



抱きすくめられ、ジョットは心が裸にされていくのを感じた。衣類を剥ぎ取られるよりずっと羞恥心を感じる。でも心地良い。もっと、触れていて…ほしい…



しあわせってこんな感じなんだろうか。



「スペード、聞いてみたいことがある」

「なんですか」



ジョットは、一拍おいて言葉を繋げる。どうしても、一度確かめてみたいことだった。



「もし、リングをお前に託していなかったら、俺と関係ない世界で生きていたなら、って考えたことはないか」

「どうして」

「俺はある。俺が始めた自分の理想を実現するための組織、それにずいぶん多くの者を巻き込んだ。皆の負担になっているのではないかと」

「自分から離れていくのが怖いのですか」



覚悟はしている、だが…。


「こうして、お前といることが。…しあわせなんだ」

「ジョット」

「だから。いいのかな。
みんなを苦しめて、お前たちに俺を護らせる役目を押し付けて。
しあわせを感じてもいいのか」



腕の中の恋人が身を震わせているのを、スペードはさらに愛しく感じた。



「今日のあなたはとても素直ですね、かわいいです」

「茶化すな…」

「ねぇジョット」

スペードは、力を込めてジョットを仰向けにし、正面へ向かせて、その潤んだ琥珀色の瞳を覗き込んだ。



「ちゃんとみて」



スペードの真っ直ぐな視線に耐えられず、視線をそらす。でもすぐに向き直させられて…。



「しあわせに思うことを、なぜ否定しようとするんですか。あなたは、もっと自分に正直になるべきだ」

「私や他の者たちが、あなたに従うことを強いられていると感じている、そんな風に思うなんてあなたらしいと言えばあなたらしい」

「俺は真剣にっ…」

「私は、あなたを護るためにあなたのそばにいるんじゃない。あなたのそばにいたいからいる、これは私の意思です」

「周りの皆もそうだ。皆あなたに魅せられている、あなたはそうやって無意識に人を惹き付ける、私がどれだけ嫉妬しているかも知らずに」

「そんなことっ…」


言葉は呑み込まれた。
スペードが強引に唇を奪う。強い苛立ちさえ感じさせるほど執拗に。その激しさに、ジョットは息する間もなく衝動に身を委ねた。彼の嫉妬でさえ、自分のしあわせの一部。唇がスライドして喉元へ寄せられた。少し歯をたてて、軽く噛み跡をつける。



「不誠実な主人に、飼い犬は噛みつくこともある、覚えておいた方がいい」

「お前は、しあわせなのか」

「あなたがいればそれでいい」



(それは…)
ジョットは、スペードの髪に触れて、いとおしそうに口づけた。双眸は天を仰いで、誓いの言葉のように呟く。



「じゃあずっと、側にいてくれ」

「ジョット」

「お前がしあわせでいることが、俺のしあわせの条件なんだ。だから側にいろ」


眼を閉じる…



「ふっ、無茶苦茶ですね。」


ジョットにできる最大限の譲歩、それ以上はあなたに言わせることはできないでしょうね。あなたは誇り高き獣、決して屈することのない私の支配者。



「あなたにはかなわない、けれどそれ以上に自分の心には逆らえない、だからそばにいますよ」



スペードは、愛しい人の衣類の前をはだけさせ、象牙色の肌に身を埋める。



「心配しなくていい…」



あなたは何もわかっていない。あなたがそばにいなくても、例え時や距離がどんなに分かつとも、あなたが息づいていること、それが私の願い。
あなたの意思に背くことになっても、あなたを生かす、それが私の生きる理由。



例えあなたに憎まれようとも…



しあわせの条件なんて、あなたにはないんですよ。












この聖域を壊すまで






end
 

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