心の中で起こること

□愛着障害の例:ストーカー
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 次は、愛着障害の症状についてもうちょっと具体的に述べたいと思います。

 たとえば、ストーカーはその主な一例です。親からちゃんと愛情をもって育たなかった、歪んだ愛情でもって育てられた、そういった経験から、愛着障害を起こすのです。
 要は、家庭で愛情を与えられずに育った子どもが、大人になって、妻(または夫)に「母としての愛情」を求めるわけです。
(ここで言う母は、女の人ではなく、自分を育ててくれる人のことです)
 夫婦間の愛情と、親子間の愛情は違いますよね。
 夫婦は支えあうもの。親子は保護の関係です。
 だから、自分を守ってくれて当然の人が、もし別れる(自分を捨てる)となると...
 その人を追いかけ、求めるのでしょう。相手との関係に「終わり」はありません。相手との関係は、未来永劫続くものなのです。
(保護がなくなるなんて考えられない!)
「別れた恋人が、実家に押しかけてくる」
 そういった例は、メディアでもよく聞きます。その姿はさながら、「母を求めて三千里」(?)自分を保護してくれる人を追って、どこまでも探し求めるのです。そのためなら、どんな障害にも立ち向かいます。相手と自分を引き離そうとする第三者にもひるみません。
(親とか友人とか新しい恋人とか)
 相手の後ろにある人間関係なんて、知ったこっちゃないんです。母である相手との二者関係なのです。
(「母」といっていると、まるでマザコンのようですね。しかしマザコンも愛着障害の一つです。この場合は、「保護がなかったばかりに、強く保護を求める」のではなく、「過剰な保護があったばかりに、強い保護を求める」んですが)
 ……自分が守られればそれでいい。相手自身の幸せは二の次で、とりあえず自身の保護がなければ生きていけない。

 この点は、見捨てられ不安といわれるものです。
(愛してもらえないことに対する異常な恐れ)
 想い人を追い求めるその姿は、一途で純粋なものかもしれませんが...
 しかし人には人の事情というものがあるので、相手と相手の背後にあるものについても考えていただきたいものです。


 ちなみに...
 このことは、主に授業で学んだことであり、客観的に考えて思ったことです。
 実は、ストーカーの人には自覚がありません。
(何故なら、自分を守ってくれる母を求めることは、誰にでもあることなのです。ストーカーの人だけが特別ではありません。ただ、本当の母がその役割をしなかったために、誰かに置き換えるしかなかったのです)
 だから、自分は違う、これはいけないことだと思っても、自分も同じことをするのかもしれません。完璧な他人事とは言えませんね。
 私個人のことになりますが……
 私は誰かに依存することが多いと思います。仲間外れにされることは怖いし、いつも誰かと一緒にいないと不安、とかはよくありました。ひとりの時間は平気ですけど、「人がいるところでのひとり」は絶対嫌です。
(まあ、それ自体は普通あるものですよね。なので、愛着障害の気は誰にでもあるとは思います)
 私の場合はまた違った理由もあると思いますが……
 一概に、愛着障害について客観的判断を下すことはできませんね。

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