03/30の日記

02:21
AERA
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AERAに掲載された養老孟司さんと仏文学者・内田さんの対談を興味深く拝見しました。

震災は自然災害、原発事故は人災…確かにそうかもなぁと思いました。
原発の非常用電源と通常電源が海側に並んでたなんて…過去に津波被害の事実がある地域にとって、それじゃあ非常用になってないじゃん!と確かに感じます。

ただ、近所に浜岡原子力発電所がある身としてはとても複雑な気分です。
私の住む静岡県は大地震が予言されている地域だし、実際いつ福島と同じような状態になってもおかしくないのですよね…。

もしもの話、浜岡で原発事故が起こったとして、浜岡からはかろうじて30km以上離れていますが、自主避難しろといわれても、親戚みんな静岡県内しかも中部地区にしかいないし…頼る親戚は原発の近所にいるし…

それ以上に住みなれて愛着ある土地を離れるということが、どんなに切なく寂しいことか…
想い出を手放して、見えない危険があるから他所へ移れなんていわれたって、そう簡単に心をきめられません。

福島では避難指示区域に住民の方が残っていて、ネットではそれを迷惑な行為だと感じているひともいて…いまは、個人のエゴは抑えてほしいとか…

確かに正論なんだけど「現実は正論だけじゃ語れないだろうがぁ!!」と叫びたくなります。

だから夢を見せてくれる2次元世界とか好きなんですけれども(笑)

いま福島で被災されている方の心中を思うと、やりきれない…あぁ、無情。。。

いろんな人がいろんな思いで、矛盾も混沌も理不尽さも全部ひっくるめて生きているのが人生なのだろうけど…

なんだかなぁ…せつないなぁ。

でも今、ここでこうして日記を書きこめるということは、とても幸せなことなのですよね。

話を戻して、今回養老さんが語った

「見えてないのは『問い』のほう
『答え』はいつも目の前にある」

ってことばに考えさせられました。

例えば、葉っぱが木にどんなふうについているかどうかというのを問題として挙げて、それは1本1本の木が最大限の日照を得るために葉っぱを配列しているわけで…

そのことは、コンピューターで計算して答えが出るかもしれないけど、とにかく最大限の日照を受けるようにしているという『答え』はいきなり最初からみえてるわけで…

…なんというか、禅問答のように屁理屈っぽくて(←失礼) 卵が先か、鶏が先かのように明確な『答え』があるわけでもないようなお話ですが、

なんとなく、言いたいことはわかるような…

『問われているもの』は何か…

そこを考えるのが大切なのだと。

震災が起こったという『答え』が目の前にある。
わたしたちに、いま、『問われているもの』は何か。

なんていうか…よくわからないけど、考えなきゃなと思いました。

野田氏は連載やめちゃうみたいだし…

あと、
宗教学者の方の記事に

春に花、秋に紅葉、冬に木枯らし
年を越せばまたよみがえり、循環する。
ここが生きる支えになっていく

という言葉が綴られていました。

うん。いい言葉。

人はいつか土に還るけど、どこかでいのちが芽吹いている。

震災の中で生まれたべイビーがいるように。。。


岩手県名産、某有名菓子の社長さんは、
チリ地震の津波でつぶれたお店を再生し大繁盛させて
…今回も工場が流されて…
でも、復興に向けて歩みだしているようです。

1年ほど前に会社関係で講演をしてもらった社長さん。
生きててくれてありがとう。
静岡県のお菓子屋さんたち、みんな応援してます!!

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