dream

□Reach the critical state『駿河幸輝』編 その後2
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【Another story】〜君が居ない世界〜


提出物の整理は思いのほか時間がかかった。
初老の化学教師はニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべ、
じゃあついでにやってもらおうかねぇ、とクラスの課題の提出に来たあかねに提出物の仕分けを頼んだ。
何故こんなにため込んだのだろうか、と呆れるほど膨大な量だった。
いつものんびりとした口調で授業を行う人だが、分かりやすく生徒に人気があり、この学園には長く勤務しているベテラン、もしくはご隠居と呼ばれている。もしかしたら既に卒業したクラスのプリントや課題もあるのではないか、と思った矢先、明らかに年度の違うプリントの束が見つかった。
その発掘物を知ってか知らずか、教師は涼しい顔で日本茶をすすっている。あかねは大きな溜息をついた。

途方もない作業だったが、あかねの几帳面な性分が発揮され、堆積していた課題プリントはすっかり片付いた。
いつの間にか日が暮れていた。

当の化学教師は
「終わったらまとめて準備室に放り込んどいて」
適当でいいよ、と言い残しどこかに行ってしまった。おそらく帰宅したのだろう。
帰る前、お礼にと煎餅と飴をくれた。

「あ、いけない」
時計を見ると、もうすぐ待ち合わせの時刻だった。
間に合わないかもしれない、そう思い急いでメールを送る。

「よし、あとはこれだけ」
このプリントの束を準備室に置いて、そのままダッシュで先輩のところに行こう。そう思いながら長い廊下を歩く。
早く会いたいな、自然と歩調が速まる。
化学準備室に着き、その白い扉を開けた。

そこはいつもとは全く違う準備室だった。
けれど、自分は、この教室をよく知っている。よく覚えている。そこの空気や匂い。実験用具や棚の位置、机の配置。たくさんの参考書やファイルや資料。それからお菓子の山。そして、そこにいた人物も。
ずっと好きなはずだった。
「京先生…」
どうして、どうして忘れていたのだろう。
記憶が、まるでたがが外れたかのように、一瞬で蘇り、そしてあふれかえった。その急激な情報量に、クラクラと眩暈がした。うまく呼吸が出来ない。頭が痛い。
あかねは、ただ呆然と立っていた。
一方彼もとても驚いた様子でこちらを見ていたが、
「こっちに来ては行けないよ」
と硬い声音で言った。
「どうして…?」
何に対しての問い掛けなのか自分にも分からなかった。ただそれが精一杯辛うじて絞り出した言葉だった。
彼は、さぁ、と困ったように首をかしげ微笑む。
「俺が引き寄せちゃったのかな」
それとも君かな、彼はそう言って肩を竦める。その答えにまるで関心が無いかのように。
「彼、案外役に立たないね」
窓の外を眺めながら、やれやれと首を振り溜息ついた。
一体何の話だろう、彼とは誰だろうか、そう色々な疑問が生まれるが、今の状況に理解が追いつかない。
あかねはただ黙って、その背中を見ていた。
さて、と彼はパンッと両手を合わせあかねに向き直る。
「聞きたいことが山ほどあるって顔してる」
「……」
「ないの?」
「…いえ…山ほど」
そう、と彼は授業中によい質問をもらったかのような顔で笑う。
「じゃあ、それちょうだい」
彼は制服のポケットを指差す。
「え…ああ、これですか?」
ポケットの中には先ほどもらった菓子があった。
「うん。キャンディーがいいな」
こんなやり取りをよくしていたな、そう思いながら飴を手渡す。
彼は飴を受け取ると、そのままあかねの腕をとり、身体を引き寄せる。あかねの頬に手を当てると、彼は小さく微笑んだ。そのままだんだんと顔が近付いていき―――あかねは思わず目を閉じる――。

「君は行かなきゃ」

――俺の居ない世界に。


ハッとしてあかねは目を覚ました。
どうやらうたた寝をしていたらしい。
「あかねー」
ぼんやりとしていた意識が段々と覚醒していく。顔をのぞき込むクラスメイトと目が合った。
「ん、何ー?」
「今日化学の提出じゃなかった?」
「あっ!!そうだった!!」
「しっかりしなよー」
と級友はあかねのおでこを軽く指で弾いた。
そのままふざけあってると、ちょうど携帯にメールが受信された。
その内容に自然と笑みがこぼれる。
「彼氏でしょ?」
にやりと笑う級友に、あかねは一つ微笑むと
「じゃあね!行ってくる!」
と化学の課題を手に取り、教室を後にした。





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