ユメのカタチ‡APH‡

□特別な日
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遠い昔の、記憶。

灰色に曇った空から荒廃した地に、雨が降り注ぐ。
亀裂があちこちに入った壁に寄り掛かり、地面に座り込む。
冷たい雨が体を濡らす。
雨を凌ぐため、立ち上がろうとしたが、脚がびくともしない。
もう、だめだ…力が、入らな…い…。
気力と体力は衰え、ただ壁に寄り掛かっていることしかできなかった。
このまま、僕は…――

いなくなるのかな…?

ぼんやりと思った。
暗さが増す空とともに、雨は次第に強くなり、周囲の音を掻き消す。

大丈夫か…!?しっかりするのである、ローデリヒ――!!

薄れゆく意識の中で最後に聞いたのは、必死に僕の名を呼び手を伸ばす、友の声だった。


気がつくと、ローデリヒはバッシュに背負われていた。
「…来てくれたんだね…」
「…っ!お前は…っどれだけ心配したと…」
怒るように言うバッシュの声が次第に震えていく。
「…お前は、本当にお馬鹿さんである…!!」
バッシュの目から涙が数滴零れ落ちる。
「今回は本当に…ダメかと、思った…」
「…うん…」
ごめんね、ローデリヒは顔を伏せる。
少し高めの体温がバッシュの背中から伝ってくる。
その温かさにローデリヒは安心して目を瞑った。
「ありがとう…バッシュ…」
ローデリヒは小さく呟いた。


貴方がいつも、救いの手を差し延べてくれたから。

どんなに汚れても。どんなに傷ついても。
何度でも立ち上がれた。


バッシュ…貴方がいてくださったから、私はーー。

…そんなこと、本人には恥ずかしくて言えませんけどね。



「はい、わかりました。はい」
電話を切り、リヒテンは電話機の横に置かれた卓上カレンダーをふと見た。
今日の日付を見て微笑む。

今日は私にとって、『特別』な日。


バッシュは青いチェックのパジャマからスーツに着替え、リビングへ向かう。
リビングに入るとリヒテンの鼻歌が聞こえてくる。
リヒテンは窓辺に置かれた鉢植えにじょうろで水をあげていた。バッシュに気づくと、ぱっと笑顔になる。
「兄さま、おはようございます」
「ああ、おはよう」
毎日のように交わされる、何気ない挨拶。
いつも通りの風景。
変わらず向けられる笑顔。
それがいつの間にか当たり前になっている自分がいることに、バッシュは驚き、小さく笑った。
「兄さま、背中にホコリが付いています…」
バッシュが着ている黒に近い紺のスーツの背中部分に細かいホコリが付いていた。
「払いますから少しじっとしていてくださいまし」
リヒテンは壁棚から洋服用ブラシを取り、バッシュのスーツの背中部分に素早く丁寧にブラシをかける。
「ああ、すまない。気付かなかった…」
バッシュはリヒテンに背を向ける形で呟く。
何でも自分でやってしまうバッシュはあまり他人に何かわしてもらうことが多くない。
何だか変に緊張してきた。気恥ずかしさも感じる。
終わりましたと、リヒテンが言う。
ほんの少しの間だったが、長く時間を感じた。
「助かった。ありがとう」
バッシュはすぐ向き直り、礼を言った。
リヒテンはにこっと笑む。
「もしかして、今日は定例会議ですか?」
バッシュが着たスーツを見て、リヒテンは尋ねる。
会議によって、着ていくスーツの色が違う。
どのスーツをどの会議で着るのか、バッシュの中ではっきりと決まっている。
どれも黒を基調とした色なので、はっきりと区別することは難しいが、リヒテンはなんとなくスーツの色でどの会議に出席するのかわかるようになってきていた。
「そうだ。…リヒテンも出掛けるのであるか?」
普段着のドレスではなく、白のワンピースを着ているリヒテンを見て、バッシュが尋ねる。
「はい、ルートヴィッヒさんのところへ行ってきます」
「ルートヴィッヒ?」
バッシュはネクタイを直しながら首を傾げる。
「渡したいものがあるそうです」
「そうか、気をつけて行くのである、リヒテン」
「兄さまも気をつけてくださいまし」
リヒテンは頷くと、花の飾りがついた鍔の広い帽子を被り、出掛けていった。
バッシュは玄関の扉のそばに立ち、見送る。小さくなっていくリヒテンを見ながら、普段に増して可愛らしいリヒテンの姿を、他の誰かに見せるのは惜しい気がした。
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