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□たまにはこんな日常も
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「邪魔じゃないか?」
髪、と己の銀髪を指さされ、セネルはそれをくしゃりと触る。言われてみれば、と以前より量が増していることに気付く。そのまま梳いてみると、予想以上に長かった。
「……そうだな」
こんなに長くなっているとは思わなかった。そう言えば髪を切ったのはいつ以来だろう。基本朝は半分以上寝た状態で身支度をしているのでほとんど放置状態なのだ。さらに言えば大変低血圧で寝起きがすこぶる悪い自分が余裕を持って清々しい朝を迎える、などということなど滅多になく、故に自身の頭に気を向けること暇など皆無に等しい訳で。ついでに言い訳していいのなら、3カ月前から一昨日までずっと内海港に泊まり込んでいたため、切るにも切れない状況だったと言っておこうか。面倒で切らなかった、という方が大半の理由を占めているのだが。
ぷち、と髪を一本抜き、その長さに妙な感動を覚えていると、近くで溜め息をつく音が聞こえた。
ちらりと視線を向けると、そこにはやはり琥珀色の双眸を持つ少女が呆れ顔で腕を組んでいた。
「まったく……少し待っていろ」
そう言ってクロエは洗面台へと向かう。数分もしないうちに戻ってきた彼女の手には、大きめの薄布と鋏と櫛。この家に櫛なんてものがあったのか、と家主である筈の彼は内心驚いた。
「何処にあったんだ、それ」
「洗面所の棚の裏側にあった。櫛はともかく、鋏くらいちゃんとしておけ」
「…悪い、ありがとう」
恋仲になってからというもの、クロエがセネルの家に訪れる回数は増えた。初めは躊躇いながら、おずおずといった感じで来ていたが、今では当たり前のように遠慮なく入ってくる。何の前触れもなく突然来ることも最近は多い。
本人は無自覚なのかもしれないが、セネルにしてみればこれはかなり嬉しい変化だったりする。言ったらきっと彼女は意識し過ぎて最初のぎこちなさに戻ってしまうだろうから黙っているが。
そして、セネルがマリントルーパーの仕事で内海港へ出掛けていた間、クロエに留守を任せていたのだ。久しぶりに帰ってきた我が家は、驚くことに散り一つなく出掛ける前よりも綺麗になっていた。
恐らく家の至る所を掃除してくれたのだろう。そして部屋の隅に埋もれていた物の数々を発掘してくれたのだろう。そう思うと感謝と申し訳なさで頭が上がらなかった。
「今日の昼食代。それで勘弁してやる」
口の端を上げ、大きな瞳を細めて不敵に笑う。それは叶うことがわかっている願いを親に言う子供のような、確信的な笑みだ。
普段、わがままは勿論のこと、人に何かを頼むことすらほとんどしない彼女は、相手がセネルでもこうして交換条件という理由をつくらないと願いを言わないのだ。
その珍しいわがままを、セネルがノーと断れる訳がない。
「わかった。今日は俺の奢りな」
「ふふ、じゃあ、出掛けるために身嗜みを整えないとな」
ほら、と示された場所は、テーブルから孤立した椅子。セネルは苦笑いしつつ、促されるままにそこに座る。
「髪切った経験は?」
「自分の髪は大体切っている。最近はエルザの髪も私がやっているな」
これでは不安か?と尋ねるクロエに、いや、と首を振る。彼女らを見て髪が変だと思ったことはない。クロエの腕はそこそこ良い証拠だ。
しゅる、と衣擦れの音とともに、頭から下に薄い布が巻かれる。そのまま櫛で軽く髪を梳かれた。
「髪型はどうする?」
セネルはそうだな…と思案し、ふと自分が今まで髪型を変えたことがなかったことに気付く。クルザントにいた頃も、ステラやシャーリィと暮らしていた時も、髪は切ったり切ってもらってたりしていたが、自身の髪型が変わることはなかった。
「クロエ」
顔を上げる。名を読んだ少女は、鋏と櫛を持ったまま、きょとんと眼を瞬かせた。
「俺の髪って、他にどんな髪型にできるんだ?」
「……聞いたのはこっちなんだが…」
胡乱げに目を細め、そして櫛を頬にぺしぺしと当てながらクロエはうーん、と唸る。
「お前はけっこう癖のある髪質だからな…。今はすくだけにして、ある程度伸ばして後ろで結ぶとか。いっそバッサリ切るというのもできるな。どうするかはセネルに任せる」
そう言われて、セネルは再び悩む。
髪を結ぶのは楽かもしれない。だが、ある程度長くなるまで待つのが面倒臭そうだ。それに髪を洗うのも時間がかかりそうだ。
ばっさり切れば、その点は心配いらない。長くなるまでそのまま放置していてもよさそうだ。しかし、暫くの間はノーマやモーゼス辺りにからかわれそうな気がしてならない。
「…………よし」
セネルは数十秒の葛藤の末、
「いつもの髪型で」
とりあえず先延ばしにすることにした。
「お前は………はぁ…もういい」
前と同じ髪型でいいんだな。
溜め息をつきながら再度確認するクロエに、ああ、と答えた。
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