短編
□刻んだとき
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「……あれ?」
「やあ、鋼の」
ぽかんと口を開いた青年を見下ろす。身長差はだいぶなくなったがロイのほうがまだ高かった。
「なんで准将……じゃなくて、今少将だっけ?」
「近々中将になるがね」
「へー、おめでと……じゃなくてだな」
エドワードは混乱気味にガシガシと頭をかいた。
いるはずのない男が目の前にいることが理解できないのだ。
「何しに来たんだよ。つか、なんで俺の居場所わかったんだ?」
「なんとなく」
此処は、エルリック兄弟の生家の跡地だった。
セントラルで多忙を極めているはずのロイが、田舎であるリゼンブールに一人きりでいるのは不可解以外のなにものでもない。
「嘘つけ。どうせウィンリィにでも聞いたんだろ」
「ご明察。ちなみに今日は完全オフだ」
「貴重な休日潰して俺に会いに来たのかよ」
「そう。君の泣き顔でも見ようかと」
「……泣かねーよ」
なにをバカなことを、と言わんばかりに顔を顰めて見せた。
泣くわけがない。
「中将、知ってたっけ」
「以前酔った君が口にしていた」
「え、嘘」
「本当」
やってしまったと過去の自分を殴りに行きたい気持ちになった。
しかしロイと最後に飲んだのはいつだったか。なにせ再会したのも数年ぶりだ。
「大丈夫。きっと私にしか言っていないさ」
「なにその自信」
「さあ。なんとなく」
「嘘つけ」
「あながち嘘でもない」
にこりと笑うその顔には、少し皺が増えたような気がした。
出会った時から十年以上経ってるのだから当然だろうか。
「お前は、警戒心が強いから。酔っていても相手を選んでいるはずだ」
「その相手に中将が選ばれてるって言うのかよ」
「違うのか?」
「……」
からかい交じりの問いには答えなかった。
「一つの区切りなんだろう?」
「……そうだよ。やっと、これがなくてもいい気がするんだ」
ポケットから取り出した鈍く光る時計はあちこちに傷がつきその年季を感じさせた。
「では、私がそれを引き取ろう」
「え?」
「それを渡したのは私だ。受け取るのも私でいいだろう」
右手で握りしめた銀時計は、今では簡単に開く。
自身の罪と覚悟を刻んだ銀時計は、旅立ちの時からずっと持っていたものだ。
国家錬金術師としての称号を持たなくなっても、これだけは持っていた。
だが今日この日、手放そうと思っていたのだ。
捨てるか、埋めるか、燃やすか、弟に頼み錬金術で塵にしてもらうか。その方法をぼんやり考えていた。
「もう役目を終えたんだ。これがなくても、お前は当時の覚悟も痛みも思い出せるだろう。それに押しつぶされることも、もうないんだろう?」
「……ああ」
思い出を焼き払ったあの日。不安のほうが大きい誓いを胸にしたこの日は、忘れていけなかった。忘れることを恐れていた。
だが、足掻いて足掻いて手に入れた思い出が、大きくなってきた。
忘れるつもりはない。でも、形にしなくてもいいのだと気づけた。
「鋼の」
「あは、なんか久しぶりに呼ばれたなその銘」
「此処は、良いところだな」
「うん、俺は此処で生きるよ」
風が二人の間をすり抜けた。
見渡す限りの平凡でなにもない風景は、都会にいるロイにとって新鮮だった。
いつまでもこうしていたら、ずっと二人でいられるのだろうか。そんなバカなことを考えたのはどちらだろうか。
「鋼の錬金術師エドワード・エルリック。彼の者は国家に属する錬金術師として多大な功績を残した。彼の者を称えるとともに、今後は穏やかに生きるためにも、その資格を剥奪する。銀時計の返還を」
「なんだよ、それ」
真面目な声色でそれらしいことを言うロイに苦笑した。
幸せに生きろ、そう言っている気がした。
「はい。いままで、ありがとうございました。ロイ・マスタング中将」
軽く放り投げて銀時計をロイに渡した。
受け取るときは、ロイのほうから投げて寄越されたことを思い出したのだ。
「ありがとう。来てくれて、本当に」
「礼には及ばないな。世話の焼ける子供を労うために来ただけだ」
「俺、もうガキじゃねーし」
エドワードはそういいつつも、黙って頭を撫でられた。
こんな姿、弟にも嫁にも見せられない。ロイにだけ見せる姿なのだ。
「十年で、強くなったな」
「あんたは、十年も二十年ももっと先も、ずっと強くないと駄目だからな」
「了解した」
忘れない。
形にしなくとも、大丈夫。
辛い別れではない。
ただ、返しただけだ。
十年を区切りにするのは早かったかもしれない。
だが、これでいい気がした。
痛みは十分すぎるくらい、時計に背負ってもらった。
これ以上刻む必要はない。
鋼の心を持っているのは一人ではないから。