bsr

□ひどく曖昧に
1ページ/1ページ

"いつもだったら"とか"なんであの時だけ"とか今になって思えばそんなことすらも"必然"のような気がしてくるんだ

あの日からそんなに時間も経ってないかもしれない。いつもなら店の開店準備を始めてる時間帯。ちょっと用事があって車を走らせていた時のこと、今まで気にもしなかった歩道側に自分に名刺をくれた『あの時の客』を見つけた。
「定時か、」
ちらりと車内に表示される時刻に目をやり、そのまま彼女とすれ違う。向こうは歩きで、コッチは車。彼女が気付くことはまず無いだろう。それに一度会っただけの客に用があるわけでもないし、自分が気にすることも何もない。ついでに彼女は帰宅しようとしていて、自分はまっすぐ店に戻らなきゃいけない。それなのに(俺も何考えてんだか…)なぜか背を向けた方に戻るべく、走っていた大通りから路地に向かって方向をかえていた。

路肩に車を寄せ、前方から歩いてくる人の流れを見つめる。颯爽と歩く目当ての人物を視界に入れ、ある程度近くにきた時に短くクラクションを鳴らしてやった。
「おい」
「??」
「お前だって」
きょろきょろと周りを見渡す彼女がおかしくて、思わず笑いが漏れてしまう
「へ、あたし?」
「そう。お前だよお前」
きょとんとした顔を見せた彼女は、不思議そうな顔しながらもこつこつと此方に近づいてきた。
「え、と…」
「俺のこと覚えてるか?」
助手席の窓を開け、運転席から唐突に声をかければ
「うーん、と…」
「この前店に来たじゃねぇか」
彼女は少し困った顔を浮かべながらも必死で記憶を手繰り寄せてくれているらしい。ちょっと待って下さいね、と呟き、うんうん唸りながらヒトの顔をじっと見つめる。
でも冷静に考えてみれば、俺が今してるのは荒手のナンパだと思う。偶然客で来ただけの女にどうして声を掛けてるかなんて正直自分でも意味がわからない。
(覚えてるわけ、ねぇか)
言葉を交わしたとは言え店員と客の間柄、ついでにあの時はコイツも酔ってたわけだし、ここまで考えると諦めなんかすぐにつける。仕方ない、一言謝って店に戻るか、と口を開きかけた。その瞬間、
「あの、ごめんなさい」
なぜか彼女の方が申し訳なさそうに謝ってきた。
「ちょう、なんとか、もとちかさん、ですよね?」
「…。」
「あれ?!違いました?!」
「いや…ハズれちゃいねぇが当たってもいねぇな」
なんだ、名字を思い出さなかっただけかよ。彼女の言葉に一気に脱力し、ついでに呆れてしまう。
「"長曾我部 元親"。思い出したか?」
「そうだ!長曾我部さんだ!」
思い出したことにすっきりしたのか、この前はご馳走サマでしたーだの、今日はお休みですかーだの、よく自分に気付きましたねーだの、会社近くなんですーだの、とにかく彼女は一気に喋りだした。
「わあったから落ち着けよ」
「あ!ごっ…ごめんなさい」
苦笑いしながら言葉を返せば、ようやく我に返ったのかマシンガンのようなお喋りがやっと治まった。
「ちょっと用事があってな、今から店に戻るとこだ」
そう告げてやれば、彼女は大人がするような愛想笑いの顔ではなく、言うなれば子どものような"無邪気"な顔して「そうなんですね!私、元親さんのお店にご飯食べに行かなきゃーって思ってたんです」とあの時、本当に何気なく交わした約束を口に出した。
「へぇ、ちゃんと覚えてんじゃねぇか」
「え?忘れてると思いました?」
「だってよー、お前酒入ってただろ?覚えてるとは思わねぇよ」
ここまで考えて、ふと、ある考えを思いついてしまい「お前この後どうすんだ?」と彼女に問い掛けた。
「え?えと、夕飯のお買い物して、帰る、だけですよ?」
「んじゃ決まりだな。乗れ」
「は?」
突然の俺の言葉に再びきょとんとした顔を見せる彼女だったが、そんな事は気にも留めず助手席の扉へ手を伸ばした。
「は、じゃねぇよ。ちょうどいいじゃねぇか、今から飯喰いに来い」
「えぇっ?!」
「ホラ早く乗れ、行くぞ」
飯に誘うなんて、我ながら強引だったかもしれない。だけど「じゃあ、ウカガイマス」とあっさり乗り込んでくれた彼女に、まずは何を作ってやろうかと店のメニューを思い浮かべていた。

・・・・・・・
拉致。←


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ