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□きみにシグナル
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(…とりあえず、手すり側)
この前、この階段で人とぶつかった。運良く落ちることはなかったけれど、あの時の浮遊感は再び味わいたいモノではない。
わいわいと会話をしながら降りてくる数人をさりげなく踊り場で避け、出来るだけ端を選んで階段を上る

「名字さん」
「!」

後ろから声を掛けられ少しだけ肩が跳ねた。すぐ横に立ったのは

「悪い、驚かせた?」
あの時、階段から落ちかけた体を地上へと引き戻してくれた水戸くんだった。
あれから何となく目で追ってしまっていることは自覚していたけど、言葉を交わすのはあの時以来始めて。

「あ、あの、水戸くん」
「?」
「このまえ、助けてくれてありがとうね」

いきなり話はじめた私に一瞬だけきょとん、としたけどすぐに柔らかくなった目元にこちらも安心する。今まで勝手に怖いなんて思っててごめんなさい、と心のなかで一人呟き、今まで知らなかった水戸くんの表情を今日もまた一つ知っていく。

「いいよ、そんな。ウデ赤くならなかった?」
「うん、大丈夫だったよ」

嘘、本当はうっすらと赤くなっていた。だけどまだ長袖だから水戸くんにはきっと気付かれない。まだ少しだけ残る跡に意識がいきそうになることを誤魔化すように視線を逸らす。

「あー、っと、次の時間なんだっけ?」
「え、あ、えと、現国だよ」

階段を上りながら、はじめてする水戸くんとの他愛のない話。階段の高さが同じなら彼の肩は私の目の高さにある。いつも一緒にいる人たちが大きいからか、水戸くんは小柄なのかと思っていたけど、平均身長の私よりはやっぱり背が高い。

「まじ?俺、寝る時間だわ」
「水戸くんの席、良い場所だよね」
「うん、寝るには最高だよ」

彼の声も何気ない受け答えも、思った以上に柔らかくて心地が良かった。水戸くんの隣、並んで歩く教室までの距離はとても短いけど、彼を少しずつ観察する今の私にはちょうど良い距離だった。



(明日は自分から挨拶してみようかな、)
(…話しかけてこい、ってけしかけられたなんてきっと彼女はきっと気付いてない)






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