短編
□冷たい指先
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つと彼女の冷えた手が腕を撫で上げて、そのあまりの冷たさに鳥肌が立った。
彼女はそんなのお構いなしに腕から肩へ、鎖骨を沿って首へ、首筋から顎へ、そして頬へと指を滑らせる。
彼女の指の跡に肌が粟立っていったが、緩やかで官能的なその動きにすっかり魅了されて、もうどうでも良くなっていた。
「ねえ、」
耳元で彼女が囁いた。
それだけで心臓がどきんと飛び跳ねて、顔がふわあっと熱くなる。
「な、なに…?」
動揺を悟られたくないのに、出てきた声は既に敗北を認めていた。
「分かっているくせに」
意地悪く笑う唇の隙間から、彼女の存外に低い声が零れ落ちた。
ぐっと生唾を飲み込む。
何かを言おうとしたが、彼女に先手を越された。
頬を撫ぜていた指が、素早く動いて唇を撫で上げる。
「いいよ。何も言わないで」
強気な態度は何処へやら。
嘘みたいに弱々しい声が、小さく鼓膜を揺らした。
「言ってしまったら、何もかも終わってしまうから…」
悲痛な響きで、彼女が囁いた。
彼女は愛おしむように丁寧に、何度も何度も唇を撫ぜた。
時折うわ言のように、何も言わないで、と繰り返す。
彼女の指がこんなにも冷たい時点で、気づいてあげるべきだったのかもしれなかった。
彼女がどんな気持ちで、今こうして触れているのかを。
手を繋ぐよりも先に、唇に触れるわけを。
「うん」
唐突に、彼女が満足そうに頷いた。
名残惜しさを微塵にも感じさせない軽やかな動作で、あっさりと体を離す。
よせばいいのに、そのまま三歩ほど距離を置いた。
「やっぱり、このくらいがいいね」
底抜けに明るい声が、辺りに響く。
「ごめんね。もっと近くに行けると、思いたかったの」
無理だったね、そう言って彼女は乾いた笑い声をあげた。
「このくらいの距離が、ちょうど、良かったよね」
話しながら彼女は、綺麗に泣いた。
「だけどもう、この距離でもいられないね。もっと、離れなきゃね」
両目から大粒の涙を零して、顔をくしゃくしゃにして、頬をほんのりと赤らめて。
彼女があんまり魅力的に笑うから、きっとこの先、お互いに後悔しかないのだろうけど、
「うん」
私は静かに、頷いた。
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