短編
□記憶の破片(カケラ)
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マグカップの中を、ふーと吹いた。
液体は揺れて世界を壊して、一瞬の後、新たに世界を創り上げた。
液体の中を見降ろす。
――変わってない。
自分のいる世界が、ふにゃふにゃと映っているだけ。
ふにゃふにゃしているのは揺らした名残か。
――おかあさん、おかあさん。もうさめたかな。
はっ、となった。誰の声だ?
――もう少し、ふーふーしようか。熱かったら大変でしょう?
――そうだね。もうすこし、ふーふーしよう。
表通りにはまだ駐車場がなくて、よぼよぼのおばあさんが1人でやってた酒屋があった。
カップの中は、今よりももっと濃い、チョコレート色。
そうだった。
母子そろって、この店のドーナツが好きだった。
スイミングスクールの帰りに寄っていた。いつも、いつも。
ドーナツ2個と、1杯のコーヒーとココア。
2人でにこにこドーナツを平らげ、ふーふー冷まして母はコーヒーを、自分はココアを飲んだ。
あの時も、世界は揺れて崩壊、すぐに元通りを繰り返していた。
けどそんな事、気にも止めなかったんだ。
スイミングでふやけた身体に、甘い温もりがじんわりと染み込んで、この小さな子どもはそれなりに幸せだった。
それがいつしか失くなった。
小さな子どもは大きくなり、母とケンカを繰り返し、自分の道を歩きだした。
恥ずかしくて、後悔してるなんて言えない。
そうだ、あの酒屋のおばあちゃんは、いつの間にいなくなったんだろ。