ときふるさと
□青砥といふ人
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見渡す限り、鬱蒼と茂る森がある。
辺りに響く音は木々のざわめきのみで、鳥のさえずりさえなかった。
僅かに地に届く木漏れ日が、森をほんの少し長閑にする。
刹那、一筋の光が森を一閃した。
次いで場違いな軽い音を立て、一本の矢が木に突き刺さる。
矢尻が銀に煌めいた。
矢が突き立った木の脇から、黒髪が覗く。
髪の間から、鋭く細められた黒目が垣間見えた。
木の後ろに、時頼が隠れて立っていた。
顔を戻し、時頼は木の後ろで息を潜める。
下ろした手には弓を、矢をつがえた形で持っていて、しかしそれを動かす気配は一向に無い。
時頼は木に背中を預けたまま目を閉じて、森の音を聞いた。
そのまま、時間が流れる。
辺りを動くのは相変わらず風のみで、動物の気配さえなかった。
僅かに地に届く木漏れ日が、風でゆらゆらと形を変える。
矢は依然として木に突き刺さったままで、それもまた、森の風景の中に溶け込んでいきつつあった。
時頼が、矢を持つ指を一瞬、動かした。
目は閉じたまま、背中は預けたままだった。
風は弱い。
森の中にあるのは、ほとんど静寂そのものだった。
時頼が、細く目を開けた。
右斜め下を、その黒い瞳でねめつけた。
刹那。
時頼が持つ弓が、空を切った。
時頼の足が地を踏みしめて、時頼が木を回り込むように振り向いて、時頼の弓が切っ先を一点に突きつけて、時頼の瞳が矢尻と同じ方向を睨みつけた。
それから、踏まれた落ち葉が乾いた音を立てた。
「……」
木に刺さった矢の手前、時頼の向けた矢の先に、男が立っていた。
目深に被られた傘が男の目元に影を落とし、表情を隠している。
ただ、口元には若干ひきつった笑みが浮いていた。
「いつほどから、私がここにいると?」
笑みをほどいて、男がそんな言葉を発した。
「今」
「……私は大分前から姿を見せておりましたが」
「木に辿り着いたのは、今だ」
「なるほど。この場に着くまで敢えて狙わなかったと」