短編
□不思議のアリスの国。
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「白…うさぎ?」
「そうよ。時計を持って、アリスを不思議な世界に連れていってくれる、不思議なうさぎさん」
男の子は、かなり混乱して、頬をかりかりと掻きました。
「…言おうとしてることは分かったけど、ぼくは白うさぎさんじゃないよ?耳もないし、第一、ぼくは人間だ」
アリスはいっぺんの曇りもない瞳で、男の子を見上げました。
「分かってるわ。人間しか喋らないこの世界で、喋る動物なんていたらだめなんでしょ。――だから人間のふりをして、みんなの目をごまかしてるんだわ」
男の子は、困ったように眉尻を下げました。
「あのね、ぼくは人間で、うさぎじゃない。ふりなんかじゃなくて、本当に人間なんだ」
「なによ、わたしが本当のこと言っちゃったからって、今更嘘つかないでよ。大丈夫よ、全部知ってるわ。絵本で何度も読んで、勉強してきたから」
男の子はいい加減、頭に来ました。
「違うって言ってるじゃないか!――ぼくは人間だっ!」
大声で叫ぶと、アリスはぴたりと動きを止めました。
「…白うさぎさんの、いじわる」
アリスは、こんなにもあなたを待ちわびていたのに。
どうして嘘をつくの?
どうして嘘をつくのよ?
「白うさぎさんの、いじわる」
アリスは俯きました。
足を抱えて、小さくなって、頭をうずめました。
「……」
男の子は、もっともっと、眉尻を下げます。
「ご、ごめんね。けど、本当のことなんだ」
そう声をかけて、アリスの肩に触れようとして、
「そんなの嘘だっ!――嘘だっ!」
アリスはその手を弾き飛ばすように、嫌々と首を振りました。
「私はアリスよっ!アリスなのっ!――白うさぎさんが迎えに来ないアリスなんて、どこにもいないわ!」
まるで世界を拒絶するように、アリスは小さくうずくまりました。
鼻をすする音がするから、きっと泣いているのでしょう。
「ちょ、ちょっと…」
男の子が慌てて、なだめようと再度手を伸ばし、
「いやあっ!」
アリスは再びはねのけました。
「わたしは、わたしは…わたしはアリスよ!アリスは白うさぎさんと一緒に、この世界を逃げ出すのっ!――白うさぎさんが来ないなら、アリスなんて生きていく意味がなくなっちゃうじゃない!」
アリスは叫んで、より小さく縮こまります。
その瞳は涙に溢れ、世界など映していません。
もはやアリスの目に、この世界など映らないのです。
男の子は、しばらくそれを見ていました。
もう、手は伸ばしませんでした。
「…君は、」
やがて男の子は、小さく呟きました。
「君は、そんなに、この世界が嫌いかい?」
「嫌いよっ!つまんなくて、辛くて、冷たい世界なんか!」
アリスは半狂乱になって叫びました。
激しく首を振って、自慢の金髪がふるふる揺れます。
男の子は、それを聞いて微笑みました。
悲しく、哀愁に溢れた微笑みでした。
「そっか」
男の子はそう言うと、アリスの肩に手を置きました。
アリスがひくっと、小さく震えます。
「じゃあ、ぼくについておいでよ」
アリスは顔を上げました。
「…どうして?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、声で尋ねると、男の子は今度はあったかく微笑みました。
「だって…君はアリスなんだろ?」
わたしはアリス…
「けど、あなたはさっき、白うさぎさんじゃないって、言ったじゃない」
わたしはアリス。
でもあなたはだれ?
「……さっきのは、君が本当にアリスかどうか、確かめたんだよ」
男の子はちょっと迷って、即席の話を作り上げました。
「…で、ぼくは確信したよ。――君はアリスだ。本物のね」
「……」
「じゃあ、行こうか、不思議の国へ」
嫌かい? 男の子は聞きます。
アリスは数回目を瞬いて、それから、にっと唇の端を持ち上げました。
「嫌な訳ないでしょう?――わたしはアリスよ」
男の子は、満足そうに頷きました。
「そうだね。――アリス」
人影が2つ、手を取り合って歩いていきました。