慈愛の女神

□☆慈愛の女神 序章
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 炎上する屋敷。血塗れの小部屋。2体の屍。青い空色の軍服は赤く染まり、足元には血塗れの少女。軍服の、女にも見えなくない男は振り返り、眼鏡のレンズの向こうに見える血のような紅い瞳を哀しげに揺らがせながらこれまた哀しげに口元に笑みを浮かべる。
 「ころせないんです」
 紅い瞳をまた、泣き止まない少女へ戻す。片手に持たれた槍は2体の屍を作ったもの。しかし、彼はそれを持ちながらもう一度口を開いた。
 「殺せないんですよ」

第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐に勅命が下った。それは[マルクトの大資料庫から機密書類を盗難し姿を眩ました男の抹殺。仲間がいる場合捕縛、抵抗するなら無抵抗者も全員抹殺]。比較的温和なピオニー皇帝の命とは思えない程残忍なものだった。理由は至って簡単。大資料庫を預かっていたノルドハイム大将の面子を潰さない為のもの。ようは尻拭いで虐殺命を出されたのだ。[死霊使い]の異名を持つが故に。命を受けてすぐ、ジェイドは発った。そして音信不通になった。5日経っても帰らず、報告書も一言さえない。[皇帝の懐刀]とも呼ばれる彼をピオニーも信じていないわけではないのだがどうにも嫌な予感が拭えず、自分の護衛剣士でジェイドと親しいガイラルディア・ガランを極秘に派遣した。そして目的地に着いて、ガイが見たものが冒頭のものだった。

 「旦那」
 ガイは静かに声をかけた。パチパチと木造の屋敷が燃える音と少女の泣き声が響く中でガイの声ははっきりと聞こえる。
 「どうしてでしょう。陛下の命に逆らう事になってしまうのに…。殺せないんですよ」
 とても哀しげに響くジェイドの声。あの[死霊使い]が、人を無表情どころか笑顔で惨殺し、その死体までも実験に使っていた非情な男が、小さな命を殺せないと泣いている。実際涙を流しているわけではない。しかし、ガイにはそう見えたのだ。
 「旦那、書類は?」
 一番重要な事を問えば、ジェイドは槍を持たない左手で懐を漁り、紙の束を取り出す。それが今回の任務の大事な事だったのだから。
 「帰ろう、ジェイド。殺さなくていいんだ」
 「殺さなくていい?」
 「ああ、いいんだ…」
 ガイの言葉を聞き、ジェイドは槍を消した。正しくは腕に融合させ、収納した。
 「ガイ。この子を連れていってください。グランコクマで保護します」
 ジェイドは機密書類を懐へ戻す。ガイは促されるまま泣き続ける少女を抱き抱えた。女性恐怖症も少女には反応しないようだったから。

 そしてグランコクマへ戻ったジェイドとガイと少女は直ぐ様ピオニーの御前へあがった。
 「ご連絡等できず、申し訳ありませんでした、陛下」
 ジェイドは機密書類をピオニーの傍らに立つノルドハイム大将に渡した後、ピオニーの前に膝をつき、頭を下げた。
 「いや、今回はノルドハイムの不手際だ。穏便に事態を収束してくれた事、感謝する」
 ピオニーはそういうとノルドハイムへ目配せする。退室しろ、という事だ。
 「カーティス大佐、今回は貴公の働きに感謝する」
それだけ言うと軽く会釈し、少女を一瞥してから謁見の間から退室した。場にはジェイド、ガイ、ピオニーと少女だけが残った。するとピオニーは肩から力を抜き、安心して気の抜けた顔になる。
 「心配したぞ、ジェイド。…無事でよかった」
 「はい、陛下」
 「それで?その子はなんだ」
 ピオニーは見た目の色が限りなく親友に近い少女へ目をやる。
 「ガイ、説明を」
 「俺かよ!わかんねぇって」
 急に話を振られ叫ぶ。それに対し、仕方ないとため息をつき、ジェイドは口を開く。
 「ターゲットの屋敷にいた少女です。それ以外の詳しい事はわかりません。ですが、この少女から機密が漏洩する恐れは皆無です。だから、グランコクマで保護する為連れ帰りました。それだけですので陛下。私は下がらせていただきますね」
ジェイドは早口で報告を終えるとさっさと出ていってしまう。ピオニーの呼び掛けにも一切耳を貸さずに。
 「なんだ、あいつは」
 「まあまあ陛下。面白い話があります」
 ガイは、泣き止みはしたものの怯えきった少女を見てくすりと笑う。
 「面白い話?」
 さすがのピオニーもジェイドの無視に不貞腐れていたがガイの様子に惹かれる。
 「この子、ジェイドの旦那が殺せなかったんですよ。陛下の勅命にも関わらず」
 ガイはいかにも面白そうに語る。ピオニーはガイの言葉に驚いたものの同じように笑みを浮かべる。
 「なら預かり先はジェイドしかねぇな。あの[死霊使い]が手を出せなかったなんて、火の雨が降るぜ」
 何やら話が進む中、小さなか細い声が聞こえる。
 「いや…」
 いつの間にかガイのズボンの端を掴んでいた少女が発したものだった。確かに、いや、と言った少女はかたかたと震えていた。
 「ここが嫌かい?」
 ガイはしゃがみ、目線の高さを合わせてやりながら尋ねる。すると、少女は首を横に振る。
 「あの人、いや」
 「きみのお父さんとお母さんを殺したからかい?」
 少女は首を傾げる。
 「おかしいぞ、ガイラルディア。あいつには子供どころか妻もない」
ガイの質問にピオニーが割り込む。その言葉にガイはあの部屋の様子を思い出す。確かに少女がいて、2体の屍があった。だからといって性別もわからない状態だったし、家族であったとも限らない。しかし、家族でないならなんだと思い、ガイは質問を変える。
 「きみはどうしてあそこに?」
 「わたし、名前もない。違うところにいたのにちょっと前にあそこに連れていかれて、あの人がきた」
 少女の話を聞き、ガイとピオニーは顔を見合わせる。
 「どういう事でしょう」
 「わからん。調べさせるしかないな。調査はこちらで行うにしても…。とにかくきみにはこれからジェイドと暮らしてもらう」
 少女の意思を無視する事になるがピオニーは何かを感じ取っていた。大丈夫だと。
 「しかし、陛下。旦那が嫌がりませんか」
 「ん〜?ジェイドの理由なんて知らん」
 鬼だ、とガイは思った。
 そしてピオニーの命令書と少女についての書類と共に名もない少女は第三師団執務室へ預けられる事になったのだ。
 

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