短編集

□☆皇帝の懐刀
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きっと…、あの頃には戻れないのだと、日を増す毎に確信に変わる思いを抱きながら生活する。
   『ピオニー』
皇子として、軟禁されていた彼から離れ、帝都に養子へ行った。己が欲望の為に。
    『殿下』
軍属になり、階級が上るにつれて彼との身分の違いを思い知り、敬うべき相手になった。
  『ピオニー陛下』
皇帝として、国を統べるものに即位した時、遂に彼は一軍人の手の届く人ではなくなった。
呼び方、態度、言葉遣い。全てに敬意をはらい彼は全く別次元の人物なのだと割り切る。
度々、私の元へ忍んで訪れる彼。昔のように名を呼べというけれど、それだけは例え皇帝陛下の命令でも聞けなかった…。
聞けない理由があった。
本当ならあの、何も知らなかった日のように身分関係なく接したい。幼馴染みという立場で語りたい。しかしそれは師の言葉を裏切る事になる。

――お前さんが陛下の昔馴染みというのは知っておる。だが、しかしじゃ。あの方はこの国の、我々の主君。崇めたて、敬い、死守すべき方じゃ。いいか、決して軽率な態度はとるな。過去は過去として封印してしまえ。
――はい…、承知しました……。

だから決して彼の『頼み』を聞く事はできない。それでもわかっている。日に日に彼の笑顔が陰っていく事に。それは極僅かな変化であるけれど、私は誤魔化せない。
『皇帝』という立場故の孤独感との戦い。
わかっているのにどうもしてやれない事がもどかしい。彼はそのおおらかさで幾度となく私を助けてくれたのに、『皇帝の懐刀』と呼ばれる立場であるのに、何も、何もできないのだ。
…身分という壁が邪魔をする。
貴方は貴方だと。
ちゃんと『ピオニー』という皇帝ではない存在を確かめてあげたいのに。
ああ――…
 ワタシハムリョクダ…

ぼんやりとしながら彼へ仕事を運ぶ。そしてまたもどかしさを感じるのだ。しかし、執務室の扉を開いて視界に入った光景は信じ難いもので背筋が凍り付いた。彼は果物ナイフを焦点の合わない目で見つめて…、そのまま左手首に宛がい斬りつけた。
飛び散る血飛沫。
音をたてて床へ落ちるナイフ。
そして崩れ落ちる彼。
書類を放り出して駆け寄るそんな時でさえ、口から出るのは彼の嫌がる敬称。
けれど、ドクドクと止まる事なく流れ落ちる鮮血。
短く、浅い呼吸。
―――死ぬ……?
言い知れぬ感覚が全身を襲い、気が付けば、何十年も出した事のないくらいの声で叫んでいた。
「ピオニーッ!」
その瞬間、彼が笑ったような気がした。

メイドを呼ぶ手間も惜しく直ぐ様、力なく横たわる彼を抱え、医務室へと走る。回りの声などよく聞こえはしない。ただ、彼の無事を願う自分の声と、煩いくらい跳ねる鼓動の音だけが響く。医務室へ行けば、彼は奥へ連れて行かれて、心配ではあったものの、私程度が近づけるわけがない。
また邪魔をする身分の壁。
けれど立場は利用できる。
師である参謀総長の元へ走り、生まれて初めて床に頭をつけた。
「お願いします、陛下の警護を私に、私に任せてはいただけないでしょうか」
「わかっておるじゃろうジェイド。お前さんは大佐じゃ。普通…」
「ええ、普通は大将以上でなければ許されない…、わかっています。しかし…!」
引きたくない。懐刀として傍に居られる立場でありながら、壁を壊す勇気が持てず、彼をここまで追い詰めたのは私。だからこそ、彼をもう一度立たせるのは私の役目。
床に座り、両手をつきながら参謀総長を見上げれば、少し思案した後、しゃがみ込み、私の肩を叩いた。
「お前さんには大将相当の実力がある。陛下を任せたぞ」
「…有り難うございます!」
師団を暫く空ける事を部下へ伝え、医務室へ向かう。すると彼は真っ白なベッドへ寝かされていた。
命に支障はない、と医師に聞かされ胸を撫で下ろす。警護、という名目での付き添い。
夜を過ぎ、日が昇り、また日が落ちる。
二日目。顔色は戻りつつあるのに目を覚まさない。起きる事が嫌なのだろうか。
「ピオニー…」
次はしっかり支えるから。
「ピオニー」
目を開けて笑って。でなければ…、私は……。
「ピオニー!」
縋りつくように、焦りを含めたように叫べば、開かれる青の瞳。焦点の定まらないまま、それでも私を確認したのか掠れた声が聞こえる。
「…ィド」
「ピオニー…!」
安堵のため息のように出た名前を聞いて、ピオニーはやや驚きながらも目元を和らげた。しかし直ぐに何とも言い表せない複雑な表情に変わった。
「皇帝は生きてるぜ…?安心したか…、ジェイド」
敢えて自ら『皇帝』を強調したピオニーに対して少なからずムッとする。
「何が言いたいのです、陛下」
こちらも敢えて敬語と敬称に変えればピオニーは挑発的に、自嘲気味に口元を歪めながら続けてきた。
「さぞかし国のトップが居なくなるかもしれないのは心配だったろうな、カーティス大佐?」
棘のある言い方。何より私が嫌がっていると知っていての呼び方が、さすがに頭にきた。
「ふざけるな…っ!」
「ジェ、イド…?」
胸ぐらを掴み上げ叫んでやれば、私の行動が予期できなかったのか驚愕とほんの少しの恐怖を混じえた目を向けてきた。
「何が皇帝だ!本気で言ってるのか!?」
ピオニーの本心は知っている。けれど言葉が勝手に出てくる。自分でも制御できない程に。
「そんな台詞を聞く為に私は二日もこんな所に居たのか…。馬鹿馬鹿しい!」
投げ捨てるように台詞を言い切り、ピオニーの体も突き飛ばす。自ら背を向けたのは、これ以上ここにいて自分が滅多に揺れ動かない感情に任せて何をするかわからないから。
「帰りますよ、気分の悪い」
「待ってくれ!」
その場から去ろうとすれば後ろから軍服を掴まれる。
「医師を呼んで、警備の手配をします。離してください」
「他の奴は嫌だ。ジェイド、傍にいてくれ…」
弱々しい訴え。けれど、今更だ。その訴えを無視して歩き出そうとすれば、掴んだままの手が引っ張られ、ピオニーの体はベッドから離れる。
「うわっ…」
短い悲鳴に瞬時に体が動いたのは軍人だからというのは言い訳に過ぎないのだろうか。
「何をしているのです、貴方は」
呆れたようにため息を零し、支えた体をベッドへ寝かせる。
「陛下…」
左腕を力一杯握り締めてくる。それは子供が親に縋るようで。私らしくもなく振りほどけない。
「一体どうされたのです」
ピオニーに対してか自分に対してかはわからない深いため息を吐き、傍の椅子に腰掛けて尋ねる。
「…敬語はやめろ」
ぶっきらぼうに呟く。
「陛下」
「それもなしだ」
「駄々を捏ねないで下さい」
「ジェイド…!」
咎めるように残酷な言葉を口にすればピオニーは切羽詰まった声で名を呼ぶ。
「俺が、居なくなるだろ…」
本心が小さな、本当に消え入りそうな声で呟かれる。
「ピオニー」
何度目かのため息を吐いて、掴まれている方と逆の手で金の髪を撫でながら『ピオニー』を呼ぶ。
「理由は、それだな?…心配したんだ」
名を呼んで酷く安心した顔になったと思えばまたすぐに陰る。
「それは…」
「地位は関係ない。私はピオニーを忘れないから、もう馬鹿な真似はしないでくれ…。……気が狂うかと思った」
何に怯えているか、全部全部わかっている。貴方が私の事を知っているだけ私は貴方の事を知っている。ちゃんと『皇帝』じゃない『ピオニー』も見ているから、支え続けるから。公にはできなくてもしっかり見ているから。戻らない過去に思いを馳せるのではなく未来を…。

私が支え続けるから、貴方はずっと私の道を照らしていて――…。




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