短編集

□☆皇帝とその懐刀
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きっと…、あの頃には戻れないのだと、日を増す毎に強くなる思いを抱きながら生活する。
『ピオニー様』
皇子として、軟禁されていた故郷同然の場所から帝都へ帰った時に彼女にとって敬うべき相手になった。
  『陛下』
皇帝として、国を治めるものに即位した時にあいつにとって敬うべき相手になった。
それでもずっと『俺』を呼んでくれていたヤツが国を出て、俺は皇帝でしかなくなった。
誰も『俺』を見ない。
ピオニー個人ではなく皇帝の地位を持つ、ピオニー・ウパラ・マルクト九世しか必要ないのだろう。
…じゃあ俺は何処だ?
皇帝の殻のない本当の俺はどれだ?
玉座の俺?…違う。
宮殿の私室にいる俺?……違う。
宮殿を抜け出てみれば、メイドや兵達は血眼で探す。
でもそれは俺が皇帝だからだ。
皇帝の俺だから価値がある。じゃあ、

コウテイジャナイオレハ?

彼女にとってもあいつにとっても幼馴染みである以上に圧倒的な差のある『身分』という距離。ピオニー個人であると信じていたくて軍属であるあいつの執務室へ行くけれど、結局、『陛下』なんだ。

俺がいない。
『ピオニー』がいない。
ああ――…
  オレハドコ…?

ふと体に走る痛みに気付けば、俺は右手に持った果物ナイフで左手首を斬りつけていた。
視界が…暗くなる
世界が…歪む…
閉じていく意識の中で『ピオニー』を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

白銀の故郷で身分なんて関係なく遊んでいたあの頃。
「ふふ、ピオニーったら」
ネフリーが笑っていて、
「ピオニーのバカぁ〜」
サフィールが泣いていて、
「騒がしいな、ピオニーは」
ジェイドが呆れていた。
楽しかったあの頃に戻りたい。四人で笑い合ったあの頃に、戻りたい…。

「……ニー」
誰だ、呼ぶのは。
「……オニー」
嫌だ、そっちには戻りたくない。また、殻を被らなければならないだろ…。
「ピオニー!」

叫ぶような声でうっすらと目を開く。ボヤける視界の中、真っ先に見えたのは、ガラス越しの赤い瞳。
「…ィド」
良く知るその人物の名前を呼ぼうとするものの、掠れた声では言葉にならない。
「ピオニー…!」
今までに見た事のない程の焦りの表情は、俺の名前と共に吐かれたため息の後、これまた見た事のない程の安堵の表情になった。けど、騙されないぜ?皇帝の俺の心配をしてるんだろ。
「皇帝は生きてるぜ…?安心したか…、ジェイド」
今の俺はどんな顔をしているのだろうか。わざと含みのある言い方をしてやればジェイドは怪訝そうに眉を跳ね上げた。
「何が言いたいのです、陛下」
敬語と、変わった呼び方が気に入らない。俺は自嘲気味な笑みを口元に浮かべ、挑発的にジェイドを見る。
「さぞかし国のトップが居なくなるかもしれないのは心配だったろうな、カーティス大佐?」
棘のある言い方とわざと役職名で呼ぶ。この程度の事がジェイドに効くとは思ってないが…
「ふざけるな…っ!」
怒りを含んだ声で叫び、いきなり胸ぐらを掴まれた。
「ジェ、イド…?」
「何が皇帝だ!本気で言ってるのか!?」
初めて見る感情の起伏の少ない幼馴染みの剣幕に押される。普段は全く熱を持たない深紅の瞳には怒りが滲み、普段は静かに軽口しか発しない口からは怒声が上がる。
「そんな台詞を聞く為に私は二日もこんな所に居たのか…。馬鹿馬鹿しい!」
ばしっと突き飛ばすようにして清楚なベッドへ投げられる。その態度と同様に投げ捨てるように言葉を発してジェイドは俺に背中を向ける。
…二日もずっと付き添ってくれていた?あのジェイドが仕事を放って?
確かにただ皇帝の付き添いなら護衛を兼ねて大将クラスが任される筈だ。そのくらいの実力者であっても大佐の地位にいるジェイドが一人で任される場所じゃない。…なら。
「帰りますよ、気分の悪い」
「待ってくれ!」
素っ気なく言い放ち、本当に去っていこうとするジェイドの軍服の裾を咄嗟に掴む。
「医師を呼んで、警備の手配をします。離してください」
「他の奴は嫌だ。ジェイド、傍にいてくれ…」
相当怒っているのだろう振り返ろうともしないジェイドに縋りつき弱々しく訴え掛ける。それすら無視して扉へと足を進める。するりと手から裾が離れると、貧血も手伝ったのかぐらりと体が傾く。
「うわっ…」
ベッドから落ちると思って目を閉じる。しかし、来ると思っていた衝撃は一向に来ず、代わりに暖かい温もりを感じた。
「何をしているのです、貴方は」
目を開けば軍服の青が広がる。ため息のように咎めながら、それでもしっかりベッドへ寝かせ直してくれるジェイド。それを機にぎゅっと力強く腕を握る。放したくない。
「陛下…」
呆れを含んだように呟かれるが、抵抗する事はやめてくれたようだ。ジェイドはあからさまな深いため息を一つ零してから傍の椅子に腰掛ける。
「一体どうされたのです」
「…敬語はやめろ」
「陛下」
「それもなしだ」
「駄々を捏ねないで下さい」
「ジェイド…!」
駄々を捏ねている自覚はある。けど…
「俺が、居なくなるだろ…」
ぼそりと呟けば聞こえるのはため息。
「ピオニー」
俺が掴んでいるのと逆の手が伸びてきてふわりと頭を撫でられる。穏やかな声音で呼ばれた名前が酷く心地好く安心する。
「理由は、それだな?…心配したんだ」
敬語もやめてくれた。懐かしいジェイドの素の言葉。普段は皇帝に対して、なんて理由で越えてくれない壁をいとも容易く壊してくれた。けど、やっぱり気になってしまう。『心配』が何に対してか。
「それは…」
「地位は関係ない。私はピオニーを忘れないから、もう馬鹿な真似はしないでくれ…。……気が狂うかと思った」
その本心が、『俺』を忘れないと、『俺』が居ると覚えていてくれると言ってくれた事が嬉しく、とても幸せに感じた。皇帝としてのピオニーじゃなく、個人を見てくれると言ってくれた。それだけでまた強く、国の主張である皇帝になれる。戻れない過去ではなく未来が見つめられる。

俺は皇帝でいるから、お前はずっと俺の懐刀でいてくれ――…。


  【俺の死霊使い】




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